文藝春秋のクルーグマンインタビュー記事・続き

昨日に引き続き、文藝春秋クルーグマンのインタビュー記事から、気になったところを抜粋してみる。今日は日本に関する箇所。

日本は96年が財政出動のピークだと思います。その時日本経済は3パーセントの成長を見ました。財政出動が経済を刺激するのは確かです。効果がなかったと言われるのは、巨額のお金を使ったのに、経済が持続的回復をしないからです。しかしもし日本が財政出動をしていなかったら、大恐慌レベルのスランプになっていたかもしれません。

(日銀が0.1%の政策金利をゼロにすべきだと考えないか、という質問に対し)日銀がゼロ金利にしても、事態はあまり変わりません。それほど大きな問題ではありません。ゼロにするとさらに身動きできなくなる。マイナス金利が可能なら効果はあるかもしれませんが、それはできない。

定額給付金について)それはまさに、「うまく行かない税制改革」と同じであるように聞こえますね。その中の少しを使って残りを貯金すれば、効き目がありません。昨年の初め、アメリカでも同じようなこと、具体的には税金の払い戻しをしましたが、使われたのは恐らくその三分の一程度。第2四半期で少し成長があったかもしれませんが、経済に大きなインパクトはありませんでした。

(インタビュアー: 25兆円規模の政府紙幣発行や無利子国債のアイディアが日本で議論されています)
効果があるとしてもどのように効果が出てくるかは分かりませんね。

なお、クルーグマンのインタビュー記事についてぐぐっていたら、以下のようなサイトを見つけたので、その中の気になった文章も合わせて紹介しておく(月刊Voice 2009年2月号に掲載されたものらしい)。

あまり知られた事実ではありませんが、私が教鞭を執るプリンストン大学のなかに経済学者のグループがあって、10年ほど前に日本の「失われた10年」について懸念し、どうやってこの事態を避けられるかが研究されました。一人はすでにスウェーデンに戻ったラルス・スペンソン教授、もう一人は現コロンピア大学のマイケル・ウッドフォード教授、もう一人がベン・バーナンキです。いまFRBを運営しているのは、日本について悩んだ人たちなのです。
・・・
とはいえ、いま起こっていることは、そのすぺてを強引にやったとしても、まだまだ恐ろしい状態が続くだろうということです。彼らが考えた以上に経済を好転させることは難しいということがわかりつつあります。この一年ではっきりしたのは、われわれは90年代に日本の政策に対し、あまりに手厳しかったということでしょう。

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プリンストンのグループの話は、ここで紹介したサムナーのブログへのPeter氏のコメントでも触れられているほか、クルーグマン自身のブログでも、例えば12/16エントリに以下のような記述がある。

Incidentally, there were a bunch of us at Princeton worrying about the Japan problem in the early years of this decade. I was one; Lars Svensson, currently at Sweden’s Riksbank, was another; a third was a guy named Ben Bernanke. I wonder whatever happened to him?

ZIRP! - The New York Times

(拙訳)ちなみに、2000年代初めに、プリンストンで日本問題を心配していた一団がいた。私もその一人。今スウェーデンのリクスバンクにいるラース・スヴェンソンもまたその一人。3番目はベン・バーナンキという名前のやつだった。その後彼はどうしたかな?


だがその「第三の男」が一団のアイディアを実際に実行に移したところ、思ったほどうまく行かなかったということは、クルーグマンはこのところ繰り返し指摘している(例えば直近のブログエントリでも、バーナンキFRBが何年もかけて準備してきたツールはあまり役に立たなかった、と書いている)。
ただ、その不成功に関し、自分を主語に含めた反省の弁(「われわれは90年代に日本の政策に対し、あまりに手厳しかった」)は、上の記事で初めて見たように思う。他の記事では、大抵バーナンキを槍玉に上げて責を負わせている。ちなみに、3/2ブログエントリでは、「Preventing depressions, it turns out, is a lot harder than we were taught」と自分の教わったフリードマンの論を批判対象にしていた。


最後に、クルーグマンの経済論議とは直接は関係ないが、クルーグマンインタビューが載っていたのと同じ文藝春秋の最新号に掲載されていた村上春樹のインタビューから、気になった言葉を拾っておく。

ネット上では、僕が英語でおこなったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんなが僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。
一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。