ウィリアム・イースタリーが先月26日にブログを始めた。その5回目のエントリとなる1/30エントリで、論敵であるジェフリー・サックスのことを正しい、と称賛している。ただし、称賛の対象となったサックスの論説は、二人の論争の的となった開発経済に関するものではなく、米国の財政刺激策を論じたものである。イースタリーのエントリのタイトルは「(少なくとも一つのことについて)ジェフ・サックスは正しい!」となっており、あくまでも仇敵に対する皮肉を忘れていない。
イースタリーのこのエントリ自体にはあまり中身はなく、そこからリンクの張られたフォーブス記事に彼の考えが書き連ねてある。曰く、今回の経済危機に直面して、かつて異端的な経済学を唱えていた経済学者も、教科書的な経済学に回帰し始めた、とのこと。その例として、彼は、普段は自由貿易にやや距離を置いているのに大晦日のブログエントリで保護主義反対を訴えたダニ・ロドリックと共に、FTで財政タカ派的な論陣を張ったサックスを挙げている。
イースタリーはサックスFT記事について
He sounds like one of those IMF fiscal austerity priests issuing a stern reprimand to some benighted land--like those that prior to Wednesday he derided at every opportunity.
(彼の言うことは、IMFの緊縮財政主義の司祭が未開の地に対し厳しい叱責をしているのと同じように聞こえる――そうした司祭を、この記事が出る前は彼はあらゆる機会を捉えて嘲笑ってきたのだが。)
と皮肉った後で、
But on today's deficit dangers at home, I had to agree with Jeff Sachs for the first time in over a decade.
(しかし今日の我が国での財政赤字の危機を考えた場合、私はこの10年間で初めてジェフ・サックスに同意せざるを得ない。)
と賛成の意を表明している。
記事の中でサックスは、
Without a sound medium-term fiscal framework, the stimulus package can easily do more harm than good, since the prospect of trillion-dollar-plus deficits as far as the eye can see will weigh heavily on the confidence of consumers and businesses, and thereby undermine even the short-term benefits of the stimulus package.
と、巨額の財政赤字が消費者やビジネスに与えるいわば非ケインズ効果を強く懸念している。
ただ、財政支出そのものを否定しているわけではなく、
There are many valuable things proposed in President Barack Obama’s spending plans – such as the sums to be spent on energy, healthcare and education – but these should be incorporated into medium-term strategies rather than a grab bag of hasty short-run spending.
とも書いており、ライバルのサマーズが企画に大きな役割を果たしたであろう財政プランの価値を認めている*1。しかし、単なるバラ撒きに堕さないように、中期的な財政戦略をしっかり持つべき、というのが彼の主張の核心である。
では、その中期的な戦略とは何か、と言うと
This time, there is certainly a cyclical case for deficit- financed public spending, but accompanied by phased-in tax increases to provide proper financing of crucial government functions in the medium term.
とブランシャールIMFが主張するような(あるいは麻生政権が主張するような!?)将来的な増税の組み込みである。
確かに、イースタリーの指摘するとおり、この点でIMFとサックスの歩調が揃ったのは意外の感がある。以前のエントリの注で、サックスのアルゼンチン通貨切り下げ反対論についてやはり“意外”と評したことがあったが、どうも彼の主張は、クルーグマンやスティグリッツと違い、単純な左派系ないしリベラルでは割り切れない――悪く言えば分かりにくい――気がする。