地理的条件と経済成長・続き

5/31のエントリで最近再燃したサックスとイースタリー間の開発経済を巡る論争を紹介したが、イースタリー自身が自らのブログでまとめエントリを起こしている。
このエントリのタイトルは「血まみれの自動車事故レベルのトラウマを生んだサックスとの論争をどうやって締めたらいい?(How to Reach Closure after Bloodstained-Car Wreck-Level Trauma of Debating Sachs?)」と、イースタリーらしい扇情的なタイトルになっている*1。ちなみにこのエントリを転載したEconomist's Viewのエントリタイトルは「泥仕合のスコアカード(Mud Wrestling Score Sheet)」となっている。


そこでは表形式で論争の経緯がまとめられているので、以下に翻訳してみる。

Huffington Postエントリ 扇情的な攻撃 前回の攻撃への反撃 有効な論点
サックス5/24:Aid Ironies イースタリーは自身が援助を受けたのに死に行く子供への援助に反対している なし 予防接種は効果がある
イースタリー5/25:Why Critics are Better for Foreign Aid than ApologistsAid Ironies サックスはチェイニーと同様の中傷攻撃をしている サックスは以前はイースタリーを正しく引用していたが、今はイースタリーがその引用された趣旨の主張に反対しているかのように書いている 援助が対象に正しく到達するには批判の目が必要
サックス5/27:Moyo’s Confused Attack on Aid for Africa 援助への批判者はアフリカの地理を理解していない 心配するな、モヨにも中傷攻撃しているから マラリアは悪
イースタリー5/29:Geography Lessons: Correcting Sachs on African Economic Development サックスの入り組んだ地理理論のアフリカへの適用には多くの「仮に」「しかし」「ただし」を含んでおり、悪い政府を無視している アフリカの貧困の説明には悪い地理より悪い政府の方が重要 援助は悪い政府に渡してはならない
サックス6/1:No Need to Oversimplify Poverty イースタリーは悪い政府という「前科学的」な単一原因を貧困の説明に用いている ジンバブエ政府が悪いことは認める。「複雑系」ではデータマイニングも正当化される 貧困は複雑
イースタリー6/2:Astrology, Despotism, and Africa サックスはデータマイニングを理解していない。データマイニングでは地理理論は占星術と同等になってしまう。サックスはジンバブエ以外の専制国家を「潜在的に良く統治されている」と評価している すべての科学的検証は一度に一つの仮説(例;悪い政府)を検証するが、それは単一の原因だけが問題と信じることを意味しない 人々は貿易や技術(例:サックスの配布する蚊帳)や移動によって地理に適応する


もちろんこれは議論の片方の当事者のまとめなので、一方的な面があることはイースタリー自身も認めている。実際、上表のサックスの「前回の攻撃への反撃」の記述は少し不当に過ぎるように思われる。


本ブログの前回(5/31)のエントリで紹介したのは上表の最初の4行で*2、残りの2行はそれ以降のものである。


小生の感想を述べると、確かに最初に喧嘩を売ったサックスに謂れ無き個人攻撃の面があったと思う。しかし、イースタリーの後半の攻撃も、自分の主張は複数の研究者のきちんとした統計的研究に基づいているが、サックスのはそうではないから占星術に過ぎない、というだけでは納得しかねるものがある。


そこで、同エントリに以下のようなコメントを書いた。

双方の言い分の私的解釈:


【地理的条件について】
サックス:「地理的条件は重要なので、蚊帳配布といった努力により克服しなければならない」
イースタリー:「地理的条件は重要でない、というのは蚊帳配布といった努力により克服できるからである」


【悪い政府について】
サックス:「悪い政府は問題だ。でも中国やロシアは…。まあ、悪い政府というのを中国やロシアよりも抑圧的で腐敗した政府と定義すべきなのかもしれない」
イースタリー:「悪い政府は問題だ。でも中国やロシアは…。まあ、彼らは実は悪い政府ではないのかもしれない。というのは彼らは経済的に成功を収めているし、天安門チベットの虐殺、グルジア侵攻、記者の暗殺といった出来事は学術上の厳密な統計分析には出てこないものだからだ」


後半の悪い政府についての記述は(イースタリーに負けず劣らず)挑発的に過ぎたかとも思ったが、案の定、14分後にイースタリー本人から以下のような反発するコメントを貰った。

悪い政府に対する私の見解のその解釈は完全に間違っている。私は悪い政府を大目に見たり弁解したりすることはないし、実際、研究では、悪い政府は経済開発にとっても悪いことが示されているのだ。


それに対し、小生は以下のように書いた。

私のコメントへの応答ありがとうございます。中国やロシアの政府への非難を共有していただけるのは嬉しいのですが、そうすると別の疑問が浮かびます。彼らは、悪い政府の存在にも関わらず経済的に成功したと言えると思いますが、いかがでしょうか? 確かに、より民主的な政府だったらもっと成功したかもしれませんが、それでもアフリカ諸国や援助機関から見たら羨むべき成果を挙げたことは間違いないと思います。そして一方には、フィリピンのようにある程度の民主政府の歴史を持ちながら、経済的になかなか離陸できない国もあります。こうした反例は、ご推奨の科学的研究の限界を示すものではないでしょうか?
もちろん、そうした事例は統計的研究では外れ値に過ぎず、何十というサンプルのうちの一つか二つのデータポイントに過ぎないのかもしれません。しかし、人口の面では、中国一国でアフリカ全体を上回ります。こうした個別事例をオッカムの剃刀の名の下に切り捨て、統計的分析で見い出された一般的傾向にこだわる態度というのは、「サーチャー」ではなく「プランナー」のそれのように見えるのではないでしょうか?
なお、中国といえば、沿岸部と内陸部で大きな経済的ギャップがあるのは良く知られているところです。そう、たとえ同じ政府の下にあったとしても、地理的条件は重要なのです。


これへのイースタリー自身の反応は無かったが、SS氏というあちこちに皮肉っぽいコメントを残す人が以下のように反応した。

あなたが少しでも西洋の開発の文献に通じていたら、歴史的に見て前例のないほど驚異的な事象であるにも関わらず、中国の成長に関する研究が乏しいことに気付くだろう。もう30年になる事象だというのに、彼らが研究していないのは、途方に暮れているためか、嫉妬のためか、あるいはまだ手を付けていないだけなのか? 西洋の発展途上国の成長への興味はゼロである。すべての研究の主テーマは、依存関係なのだ。

このSS氏の見解も極論だとは思うが…。


なお、イースタリーがそれほど悪い政府に反対ならば、(フレデリック・フォーサイスみたいに自費でそうした政府を転覆させるとは言わないまでも)軍事介入でそうした政府を矯正するのに賛成かと言うと、そうでもないらしい。稲葉氏のこのエントリ経由で読んだコリアー書評では、コリアーの唱える軍事介入論には否定的である。


また、イースタリーが産業政策に反対しているのは先日紹介したロドリックとの論争でも明らかだが、29日のHuffington Postエントリのコメント欄では、指導者の資質に経済成長の要因を求める見方もに反対の姿勢を見せている。具体的には、シンガポールの成長をリー・クアンユーに求める偉人論を唱えるコメントに対し、偉人論には賛成できない、無名だがダイナミックな華僑の力によるものではないとどうして言えるのか、と反問している。

*1:cf. これまでのイースタリーの関連ブログエントリのタイトル。
5/24=「サックスが攻撃してきた!助けて!(Sachs attack! Help!)」
5/25=「サックスの皮肉:なぜ批判者の方が擁護者より海外援助にとって良いのか(Sachs Ironies: Why critics are better for foreign aid than apologists)」(注:これはサックスの最初のHuffington Postエントリのタイトル「Aid Ironies」のもじりで、同日のイースタリーのHuffington Postエントリのタイトルに同じ)
5/26=「サックスを叩きすぎているかしら?(Am I attacking Sachs too much?)」
5/29=「またサックス化する前に私を止めて(Stop me before I Sachs again)」(これはSachsとsuckをかけているように思われる)

*2:ただし、イースタリーの5/29エントリについては、内容的にほぼ同じ同日のブログエントリの方を紹介した。