When designing a fiscal stimulus, there is no compelling reason for one size fits all.
と書かれていたが、今回の日本の定額減税を巡る議論を見ていて、つくづくそうなんだな、と思った。
マンキューは、米国がこれから実施するであろう財政刺激策について、議会は額だけ決めて、あとの使い道は各州に任せたらどうか、と提案している。個人にばらまくのも良し、インフラ事業に回すのも良し、というわけだ。日本の例に喩えると、何だか今回の定額給付と、かつてのふるさと創生事業を選択制にして合体させたようなプランである。
一方の今回の日本の財政刺激策についてだが、上で「今回の日本の定額減税を巡る議論を見ていて」と偉そうに書いてしまったが、実はいつも見ているブログを少し回っただけで、それほど熱心に調べたわけではない。その少ない範囲で見聞きして少し意外だったのは、Baatarismさんもkmoriさんも鍋象さんも、今回のばらまきに対しそれほど否定的ではなかった点。リカードの中立命題からしてまったく無意味な政策、といった批判が経済関係ブログからは沸き立つだろうと予想していたので、個人的にはやや肩透かしの感があった。
お三方のブログでは、むしろ、そうした基礎的な議論は飛び越えて、消費促進のために消費税減税に目を向けるべき、とか、これを機にEITCないしベーシックインカム制度を考えるべき、といった建設的な議論がなされている。
それに対し、岩本康志氏は、学者らしく、定額給付の無意味さを真面目に指摘している。また、岩本氏の別のエントリ、およびそれに言及した、大竹文雄氏のブログでは、高額所得者に自主的辞退を促すことの無意味さが説かれている*1。大竹氏が、kmoriさんが否定的だったホリエモン案と同様の案を出しているのが興味深い。
大竹=ホリエモン案は、定額給付金が要らないと思う人は、慈善団体に寄付すれば良い、というもの。大竹氏は、慈善団体への寄付は貯蓄に回ることは無いので、そのまま需要増加につながる、とコメントで解説している。一方、kmoriさんは、そうして慈善団体が実施する公共的な支出が意味あるものになるかどうか、という点に疑問を呈している。
公的支出の中身を巡る話は、かつての山形=小野論争を思い出させるが、結局、議論は、
- 政府に任せると駄目な結果に終わるから、公的支出するくらいなら民間に回すべき。
- 政府でなくてはできないインフラ整備があるから、公的支出の意味はある。
のいずれの立場を取るか、という論点に収束するのではないかと思う。とはいっても、民間だって無駄遣いすることはあるし、政府も常に失敗するわけではない。そう考えていくと、どちらの立場が正しい、という決め手はないのが現状なのかな、という気がする。冒頭に書いたとおり、小生が「there is no compelling reason for one size fits all」というマンキューの言葉が正しい、と感じた所以である。
*1:個人的には、辞退者には何らかの表彰をするという手もあるかな、と考えている。これは、以前マッツァリーノ氏が年金について出した案の受け売り。このマッツァリーノ案は、飯田泰之氏との論争の的の一つ(リンク先の2006.1.28エントリ)にもなったようだが、それほど否定すべき案にも思えない。本ブログの以前のエントリで間接的に紹介した研究で示されているように、名誉とか自尊心も、経済的利益と同様、人々のインセンティブに十分なるので。