昨日エントリで紹介した本の内容を、以前、「経済学者」×「質問への回答」のマトリックスにまとめたことがあったので、今日からはそれをアップしていく。
まずはJames Tobinから。
【一般理論に関する多くの論争について】
この本は多くの点で野心に満ちていて、様々な主張を支持するために引用できるのに都合よくできているとも言える。
【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】
合理的期待形成仮説がケインズ理論の欠陥を正すために生まれた、という説を受け入れるわけにはいかない。期待という概念を明示的・動態的に分析に取り入れて議論するのは良いことだが、議論の展開に必要な変数について誤って理解し、それをいつまでも使おうと考えているようだ。ある点では、政策は人々によって前もって予期される、とするルーカスの考えは意義ある考えだと思うが、彼自身が考えるほど素晴らしいとは思わない。というのは、その巧妙な理論からは政策的意味合いが理解され得ないからだ。また、貨幣供給とは何かという問題についてルーカスははっきりした考えを示さなかったため、この理論は生き残れなかった。成長を重視するバローとルーカスの二人は、無闇に需要重視のマクロ経済学の考えをぶち壊してしまって、野原に捨ててしまい、もうマクロ経済学は必要ないと言っているように思える。マクロ経済学は需要不足問題が起きたときに政策を提言することができ、その意味で、マクロ経済学が必要なのは、たとえ交差点で自動車事故が無くなったとしても信号が人々の生活に必要なのと同じこと。
【成長理論について】
内生的成長理論は成長問題を論じるのに役立った。総需要不足の問題は先進国で有り余る贅沢品をどうするかという問題であり、発展途上国の生産性や健康水準を高めることがはるかに価値のあること。ただ、生産要素の外部性を重視したり、収穫逓減という考え方を打ち破ろうとしている内生的成長理論にそれなりに興味はそそられるが、この理論が確かに大丈夫という確信はまだ持てない。
【自然失業率とNAIRU、およびフィリップス曲線について】
フリードマンが自然失業率を考えついたとき、心の中に一種のフィリップス曲線(彼はそう呼んでいないが)のようなものを描いていたのではないか。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)と自然失業率の二つの理念は基本的に大きな違いはない。自然失業率はワルラス的一般均衡方程式で解決される失業の大きさだ、とフリードマンは述べたが、しかし、いったいワルラス方程式がどんな失業問題を扱っているというのか。従って、自然失業率という考え方は意味をなさず、正しくない。モジリアニ等がNAIRUについて語りだしたときは、もっと現実的な側面について語っていたのではないか。[1993.2インタビュー]
フリードマンの「貨幣政策の役割」(1968)および自然失業率の考えは、ニュークラシカルやリアル・ビジネス・サイクルなどのマクロ経済学に大きな影響を及ぼし、主流マクロ経済学の核となった。しかしその影響は学術の世界に限られるだろう。NAIRUは優れた考え方だが、自然失業率と同じものではない。また、両者はここ数年間の経済的変動に惑わされている。さらに、長期にわたって垂直なフィリップス曲線が成り立つという考えは、低インフレのもとでインフレと失業にトレードオフの関係があるとする私の主張に相反する。[1998.1-2往復書簡]
【経済政策について】
インフレ対策は、サッチャーの言うようなマクロ経済政策の一番の目標ではなく、もっと下のほうの目標だ。財政政策については、一方でクラウディングアウトの問題があるが、他方で経済が弱っているときの財政赤字削減は生産の低下につながる。患者の容態に合った医療を施すことが必要だ。所得政策は1979年に始まりつつあったディスインフレには効果があり、インフレが再燃すればまた必要になるだろうが、インフレ懸念のない今は必要ない。
欧州の高失業率とEMUの問題は私の手には負えない。ただ、欧州の高失業率を作り出したのはマクロ経済政策がしっかりしていなかったせいと思う。拡張的な政策は、短期のフィリップス曲線がかなり平らな場合は効果が乏しいが、いずれにしろ欧州では取り入れられておらず、何か失業解消政策の導入に構造的障害があるのかとさえ思える。英国ではサッチャーの組合叩きが役立ったのかもしれない。欧州大陸の構造的問題はヒステレシス効果を反映しているのではないか。1979-82年の不況がこじれて一時的失業が構造的失業になったのだろう。EMUは失業問題に大きな力は発揮しないだろう。EMUメンバーの各国政府はEMSのもとで自国に合ったマクロ経済政策手段を持つのは難しく、EUの財政政策出動といってもその手段すら今のところ無い。
【マクロとミクロの関係】
マクロ経済学のモデルは、ミクロ経済学の基本的な理論の上に構築されるものなので、ミクロ経済学の基礎はマクロ経済学にとっては重要。だが、過度の重要視は、マクロ経済学の基本的な特性を損なう恐れがあるので避けるべき。両者を間違って結びつけたらマクロ経済学は間違った方向に行ってしまうのではないかと懸念している。
[経済学者がマクロ経済学の問題で意見が異なることが多いが、ミクロ経済学の問題では意見の一致が見られるのはなぜか、という質問に対し]私自身も含めて、ケインズはああ言った、こう言ったと言い過ぎるのではないか。
ミクロ経済学の分野では、選択理論の一つである収益−費用の分析が大いに効果を発揮しているが、他の社会科学はその利点をあまり認識していないようだ。