マクロ経済学はどこまで進んだか・誤訳指摘

池田信夫氏が7/10エントリで一般理論の間宮訳のひどさを嘆いているが、経済学的に貴重な文書資料が誤訳で台無しにされている例としては本書も引けを取らないと思うので、TBさせていただく。
(以上、7/10追記)

マクロ経済学はどこまで進んだか」という本がある。

マクロ経済学はどこまで進んだか―トップエコノミスト12人へのインタビュー

マクロ経済学はどこまで進んだか―トップエコノミスト12人へのインタビュー

以前、この本を3000円近く出して買ったら、翻訳があまりにもひどかったので出版社に抗議のメールを送ったことがある。今日はそれをコピペしておく(この後丁寧な返答が来たが、それは先方の著作権に属する文章なので省略する)。

なお、上記amazonサイトで誤訳を指摘している「びっぐ」も小生である(この「びっぐ」というのは別に勘違いしているわけではなく、単に背が低いことから友人に反語的に付けられたバンドネーム)。

今は絶版になっているようなので死者に鞭打つ真似をすることもないような気がするが、古本で手に入れた人のため、もしくは再版を考える人が現れた時のため、ここに残しておく(まあ、そういう人たちがこのブログを目にする可能性は限りなくゼロに近いとは思うが)。

なお、本文中のリンクは残念ながら今はいずれもリンク切れになっている。

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 突然のメールで失礼します。

 御社の「マクロ経済学はどこまで進んだか」(B.スノードン+H.R.ヴェイン
著、岡地勝二訳)を1年ほど前に購入いたしましたが、このたび、たまたまその原文
の一部をインターネットで目にする機会があり、その翻訳のあまりのひどさに気付き
ましたので、ご指摘すべくメールいたします。

 目にした原文とは、同書の第12章に取り上げられているポール・ローマー氏のホー
ムページ http://www.stanford.edu/~promer/Int_re_macro.html
に掲載されているものです。このメールの末尾に例を挙げますが、正直申し上げて、
中学生でもこのような誤訳はしないだろう、といった質の翻訳になっていることがお
分かりいただけるかと思います。

 海外の経済図書の紹介という御社の活動に関しては、日本における経済文化の普及
という点で兼ねがね敬意を払っていましたが、このような質の翻訳をそのまま出版す
るという行為については、むしろそうした文化に有害な影響を与えるものではない
か、と危惧せざるを得ません。

 また、この本について言えば、現代の経済学の発展に大きく寄与した巨人たちの生
の声を届ける、という点で極めて価値の高い第一級資料かと思います。しかし、そう
した資料価値が低品質の日本語訳によって大きく損なわれているのは、悲劇的としか
申し上げようがありません。私も、本書中の各経済学者の意見を傍らでメモにまとめ
つつ読ませて頂きましたが、しばしば意味の取れない文章に往生いたしました(イン
ターネットを見ると、そうした経験をしたのは私だけではないようです。
http://homepage2.nifty.com/nabesin/l-mura-r-0112.htmlをご参照ください)。
もし期待に胸躍らせて本書を手に取った経済学徒たちが他にも数多く同様の経験をし
ているとすれば、これは一種の社会的損失と申し上げても過言ではないでしょう。

 御社のブランドを守るといった面からも、是非ともこうした誤訳・悪訳の垂れ流し
といった行為に関しては、猛省の上、お止めくださるように切にお願い申し上げま
す。

● 同書p.262:
「それはおそらく、壊れたレコードの音楽みたいなものでしょう。何度も何度も自分
の主張を繰り返して、というようなものなんでしょう。しかし、これら二つの理論が
なぜ別々になったのかといえば、それは方法論の問題でしょう。」

原文:
I am probably going to sound like a broken record here, repeating my message
over and over, but the divide was methodological.

=「自分はこの点について壊れたレコードのように同じ主張を繰り返しています
が…」という原文の意味を、上記の日本語訳から汲み取るのは不可能です。


● 同頁:
「…彼らが用いていた分析手法が違うというよりも、彼らが取り組んでいる問題に本
質的に違いがあった、といえるのではないでしょうか。」

原文:
It was less the differences in the substantive questions they were asking,
than the tools they were selecting to try and address them.

=意味が逆になっています。


● 同頁:
「…ときには、過去を振り返ることが必要ですし、何か新しい分析手法を見つけだす
ために、これまでの理論を単純化しなければならないということもあります。」

原文:
...sometimes you have to take a step back and simplify to make progress
developing new formal tools.

=この場合の「take a step back」は「過去を振り返る」ではなく、文字通り「一歩
下がって(単純化する)」と捉えるべきと思われます。


● 同書p.263:
「経済学者が数学の使い方を習得してから、さまざまなトレード・オフの問題を取り
扱うようになりました。」

原文:
As we learned how to use mathematics we made some trade-offs.

=数学の使用によって経済学者の仕事にトレード・オフが生じたのではなく、トレー
ド・オフという新たな研究分野が生じたかのような訳になっています。


● 同書p.264:
「しかし、あえて彼の理論のなかで他の理論と違う点を指摘しておけば、彼が用いた
分析手法についてです。彼は技術について語っているのですが、その際、技術とは公
共財のことを意味しているのです。その点がソローモデルの特徴といえるのでないで
しょうか」

原文:
The downside was that because of the constraints imposed on him by the
existing toolkit, the only way for him to talk about technology was to make
it a public good. That is the real weakness of the Solow model.

=これより前の文章でソローモデルの長所を述べ、ここではその短所(=分析手法の
制約から、技術を公共財として扱わざるを得なかったこと)を述べていますが、訳文
からはそうした意味合いがすっぽり抜けています。


● 同書p.264:
「もちろん、技術というものが、はたして個人的なものか、個人的には一切使用でき
ないものか、という問題は議論の余地があるところです。それによって、生産活動に
対してどのような影響をもたらすのかどうか、ということもまた考えなければいけな
くなります。」

原文:
It has at least some degree of appropriability or excludability associated
with it, so that incentives matter for its production and use.

=技術がある程度私有物の性格を帯びているから、その生産と使用に関してインセン
ティブが重要になってくる…という原文の意味を、上記の日本語訳から汲み取るのは
極めて困難です。


● 同書p.264:
「ソローが主張したところによると、内生的成長論は、非競争性の概念によって成り
立っています。」

原文:
But endogenous growth theory also retains the notion of nonrivalry that
Solow captured.

=内生的成長論は、ソローが捉えた非競争性の概念も保持しています…というのが正
しい訳かと思います。この辺りに関しては、そもそも訳者がローマーの発言内容を理
解していないように思います。実際、この後の原文に存在する重要な文章が翻訳から
はすっぽり抜けています。


● 同書p.265:
「さらに、マンキューのように、技術は別のものとみなして議論を展開している経済
学者のグループがあります。しかし、私たちは、技術をちょうどソローが主張したよ
うに純公共財に近いものだとみなしています。」

原文:
Then there is another group of economists who, like Mankiw, say that
technology is different, but we can treat it as a pure public good just as
Solow did. I think that both of these positions are mistaken.

=最初の文章のwe can以下はマンキュー等の主張の続きを表しているのに、翻訳では
ローマーの主張と誤訳しています。このため、ローマーはマンキューの意見にも反対
しているのに、翻訳ではマンキューと同意見であるかのようになっています。


ほんの数ページ見ただけですが、ここでは極端な誤訳の例を挙げさせていただきまし
た。これらのページでは、それ以外にも限りなく誤訳に近い文章、意味の取りにくい
文章、原文を見てようやく意味がわかったという文章が数多くあります。全体でどの
程度の誤訳が存在するかは、想像するだに恐ろしいことです。

また、序でに申し上げれば、御社の他の本でも、「デリバティブとは何か」(マート
ン・ミラー著、斎藤治彦訳)で翻訳の質の低さが目立ちます。これもノーベル賞を受
賞した一流の経済学者が著した本ですが、訳の質の低さがその価値を貶めているのは
極めて残念なことです。一例を挙げますと、同書のpp.268-269では「市場取引注文」
「取引制限/取引のリミット/リミットの注文」といった用語が見られますが、これ
は「market order(成り行き注文)」と「limit order(指値注文)」のことではな
いでしょうか? そう解釈しないとこの部分の日本語はまったく意味不明です。

年間に多数の図書を出版している御社では、こうした質の低下もやむを得ないとおっ
しゃるかも知れませんが、雪印乳業の例を思い起こすまでもなく、製品の質のケアを
怠ると、いずれ御社自身の信頼に跳ね返ってくることになるかと思います。また、翻
訳の質の責任は第一に訳者にあると言っても、御社の出版物として世間に流通してい
る以上、その品質の管理について少なからぬ責任が御社にあることは間違いないと思
われます。アルバイトで経済学部の学生に出版前にチェックをさせるなど、それほど
コストをかけずに質を高める方法は幾らでもあろうかと思います。御社が日本の経済
文化に真摯に貢献するために、過ちを正す努力をなされる事を願ってやみません。

一読者より


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ちなみに文中のデリバティブとは何か」(マートン・ミラー著、斎藤治彦訳)はこちら。

デリバティブとは何か

デリバティブとは何か