ポール・ローマー「キレてないですよ」

数学もどき(mathiness)への批判を展開しているポール・ローマーが、その主張への反応には誤解も含まれているとして、改めて自分の立場を説明している(H/T Economist's View)。
彼はまず、自分の立場に関する以下の6つの○×クイズを挙げている。

  1. ローマーは、経済学者はデブリュー/ブルバキの数学を使おうとすべきではなく、物理学者や技術者のように、そこまで本格的ではないやり方で数学を使うべきだと考えている。
  2. ローマーは、データや実証結果を理解するのに何の役にも立たないような抽象的な数学モデルは、数学もどきの例だと考えている。
  3. ローマーは、数学的議論における誤りは数学もどきの例だと考えている。
  4. ローマーは、彼が数学もどきの咎で批判した経済学者は、国の政治に影響を与えることを狙いとした右派の政治目的を促進するためにそれを使っている、と述べている。
  5. ローマーは、経済学者は数学の使用をもっと控えるべきだと考えている。
  6. ローマーは怒っている。

ローマーによれば、いずれも答えは×との由。


その上で、第一項と第二項について以下のように述べている。

...my objection to mathiness is not a critique of the assumptions or structure of the models that others propose. It is a critique of a style that lets economists draw invalid inferences from the assumptions and structure of a model; a style that authors can use to persuade the reader (and themselves) to adopt conclusions that do not follow by the rules of logic; a style that tolerates wishful thinking instead of precise, clearly articulated reasoning. The mathiness that I point to in the Lucas (2009) paper and in the follow up paper by Lucas and Moll (2014) involves hand-waving and verbal evasion that is the exact opposite of the precision in reasoning and communication exemplified by Debreu/Bourbaki, and I’m for precision and clarity.
(拙訳)
・・・数学もどきへの私の異議申し立ては、他の人が提示するモデルの前提や構造への批判ではない。モデルのその前提や構造からは引き出せないはずの推論を経済学者に引き出させるような手法への批判である。即ち、論理の規則からは出てこない結論を認めるように著者が読者(および自分自身)を説得するために使える手法であり、正確かつ明確に表現された思考ではなく願望的思考を許してしまうような手法である。ルーカス(2009)論文およびその後続論文であるルーカス=モール(2014)について私が指摘した数学もどきは、デブリュー/ブルバキにおいて体現された推論や表現における正確さとはまさに正反対の、雑駁かつ言葉による言い逃れを伴っている。私は正確さと明確さの側に立つ。


また第四項については、自分が批判した学界政治は、スティグラーやフリードマンチェンバレンの独占的競争理論に反対した昔はいざ知らず、今は国の政治とは無関係だろう、と述べている。


そして第六項については、自分は怒っているのではなく憂慮しているのだ、と述べている。


ちなみに後続のエントリでローマーは、自分に対する批判で有効だと認めたものとして以下の2つを挙げている
一点目は、本ブログの15日エントリで紹介した論文の以下の一節に関するもの。

数学理論と同様、数学っぽさは言葉と記号を混ぜて使うが、両者の間に堅固な関係を構築するのではなく、自然言語形式言語、ならびに理論的内容と実証的内容の記述との間に、ずれが生じる余地をたっぷりと盛り込んでいる。
(拙訳)
Like mathematical theory, mathiness uses a mixture of words and symbols, but instead of making tight links, it leaves ample room for slippage between statements in natural versus formal language and between statements with theoretical as opposed to empirical content.

これについてこちらのブログでは、「and between statements with theoretical as opposed to empirical content(、ならびに理論的内容と実証的内容)」の部分は話が別ではないか(∵ローマーの数学もどきの話はデータとは完全に独立した話なので)と指摘し、ローマーもそれを認めている。
二点目はDavid Andolfattoのツイートで、ローマーは数学もどき(mathiness)に言葉の多用(wordiness)で応じている、と言われたとの由。これについてローマーは一本取られた(Touché)、と述べている。