サイモン・レンールイスがポール・ローマーのマクロ経済学批判を取り上げ、ミクロ的基礎付けに対して愛憎半ばする感情を持っていると自認する通り、肯定と否定をないまぜにした評価を下している。
Yes it is unfair, and yes it is wide of the mark in places, but it will not be ignored by those outside mainstream macro. This is partly because he discusses issues on which modern macro is extremely vulnerable.
(拙訳)
確かにローマーの批判は公正を欠いており、あちらこちらで的外れなことを書いているが、主流派マクロ経済学の外にいる人はこれを無視しないだろう。その理由の一つは、現代マクロ経済学が極めて脆弱な箇所について論じているからである。
レン−ルイスの言う現代マクロの脆弱な箇所とは、以下の2点である。
- データの扱い
- 識別に関する議論でローマーは、モデルをパラメータ化するに当たっては利用可能なすべての情報を使う必要がある、という点を説明している。
- しかし、理論分析においてにせよ実証分析においてにせよトップジャーナルで唯一受領されるモデルであるミクロ的基礎付けされたモデルは、ピックアップするデータについて選択的である。不都合なデータはミクロでもマクロでも無視されるか、将来の研究の話として棚上げされる。これは、内的整合性を学術誌での掲載条件としたことの必然的帰結である。
- ミクロ的基礎付けという手法の保守主義
- ミクロ的基礎付けという基準を厳密に適用すると、モデル化できない過程も幾つか出てくる。例えば実際のメニューコストはディープパラメータなので、粘着的価格はモデル化が難しい。そこでDSGEではカルボ契約といったトリックを使っている。
- しかし、そうしたトリックが受け入れ可能なミクロ的基礎付けになっている、もしくはアドホックないし説得的でない、ということを誰が決めるのか? その答えはマクロ経済学者の慣習に大きく依存しているが、慣習というものの例に漏れずその変化は遅い。
- ローマーの金融政策の実効性に関する論議や、景気循環の駆動要因としてショックにこだわっているという論議は時代遅れ。ただ、RBCモデルがニューケインジアンモデルに置き換わるのに時間が掛かったこと、RBCモデルがまだ一部に残存していることは事実。
- マクロ経済学では、粘着的価格は適切にミクロ的基礎付けされていないから無視すべし、などと大家が述べているが、そうした議論は他の科学分野では笑い飛ばされるのが落ちだろう。実際に観察できることよりもミクロ的基礎付けできることをモデル化する方が良い、などと議論する学問分野は他にないだろう。