体化されたアイディアと経済成長

前回エントリでは、David Andolfattoがポール・ローマーへの反論エントリを上げたことを紹介するとともに、彼のエントリの内容は実のところ今月初めのDietz Vollrathによるボルドリン=レヴァイン(BL)の解説で先取りされていた、と説明した。そのVollrathが、Andolfattoの反論エントリとほぼ同時に*1、改めてBLの問題点を指摘した表題のエントリ(原題は「Embedded Ideas and Economic Growth」)を書いている


Andolfattoは、体化されたアイディアが非競合財か否かという論点は意味論の問題に過ぎないとして軽視する姿勢を見せたが、Vollrathのエントリはまさにその点に焦点を当てている。彼はまず、非競合性と排除性の区別から説き起こし、スポーツ選手の技術を例にとってその区別を説明している*2

Non-rival ideas or skills can even be uniquely embedded in a person or thing. Usain Bolt is uniquely capable of running 100 meters in 9.58 seconds. There has never been anyone in recorded history to run 100 meters this fast. Despite that, running a 9.58 is a non-rival skill. If this year Justin Gatlin runs a 9.58, that isn’t because he took away the skill from Bolt, which would mean the skill was rival. They could both run this fast; it is a non-rival skill.
Saying a skill is unique is a statement about exclusion, not rivalry. If no one ever again runs 100 meters as fast Usain Bolt did, that doesn’t mean running a 9.58 is a rival skill, it means that running a 9.58 is an exceptionally excludable skill. So excludable that it is impossible. But still non-rival.
(拙訳)
非競合的なアイディアや技術は、人もしくは物に唯一無二の形で体化されることさえある。ウサイン・ボルトは100メートルを9秒58で走る能力を持つ唯一の人間である。記録に残っている歴史において100メートルをこれほど速く走った人間はいない。にも関わらず、9秒58で走ることは非競合的な技術である。もし今年ジャスティン・ガトリンが9秒58で走ったとしても、それは彼がボルトから技術を奪ったためではない。もしそうならば、この技術は競合的ということになる。両者はともにこの速さで走れるのであり、それは非競合的な技術である。
技術が唯一無二であるというのは排除性に関する記述であり、競合性に関するものではない。たとえウサイン・ボルトほど100メートルを速く走れる人間が今後二度と現れないとしても、それは9秒58で走ることが競合的な技術であることを意味するわけではなく、9秒58で走ることが極めて排除的な技術であることを意味している。極めて排除的なあまり不可能の域に達しているわけだ。それでもやはり非競合的である。


その上で、BLを以下のように批判している。

Where I think BL went wrong is in claiming that embedding skills or ideas in people or machines makes them rival. They used that term incorrectly. Embedding makes skills or ideas excludable, even though they are still non-rival. Once they claimed that some ideas were rival, they had to contort themselves into arguing that non-rival ideas don’t earn any rents ever to satisfy the “pick 2 of 3″ conditions I laid out in the last post. If you want to accuse BL of “mathiness”, then it would be because they mis-matched the language (rivalry) with the math (excludability).
(拙訳)
技術やアイディアを人々や機械に体化すると競合的になる、と主張した時点でBLは間違えた、と私は思う。彼らはその用語を誤って用いた。体化は技術やアイディアを排除的にする。たとえ依然として非競合的であったとしても、である。ある種のアイディアが競合的であると主張した瞬間、私が前回エントリ*3で提示した「2か3を選択」という条件を満たすため、非競合的なアイディアはレントを一切得ない、と論ぜざるを得なかった。もしBLを「数学もどき」の咎で非難したいのであれば、言葉(競合性)と数学(排除性)の不整合を理由とすべきであろう。


また、ローマーについても、独占を強調し過ぎた、として以下のように書いている*4

For his part, Romer has probably over-stated the importance of monopoly power over ideas. Yes, a patent gives you monopoly power over an idea. And without that patent, an easy-to-copy idea would most likely not be produced. But some ideas or skills are hard to copy, and the people who hold them do not necessarily need a monopoly over them in order to earn rents. Some ideas are hard enough to copy that you can earn rents even though you face some Cournot-style competition from the few others capable of copying you (i.e. Federer, Nadal, Djokovic). Romer doesn’t really need strict monopoly power, he just needs rents to accrue to idea owners.
(拙訳)
ローマーについて言えば、おそらく彼はアイディアに関する独占力の重要性を誇張し過ぎた。確かに特許はアイディアに関する独占力を与えてくれる。そしてそうした特許抜きでは、複製が容易なアイディアは生産されなかった可能性が非常に高い。しかしアイディアや技術の中には複製が困難なものもあり、それを保有する人々は、レントを得るために必ずしもそれに関する独占力を必要としない。アイディアの中には、複製があまりにも困難なため、複製する能力がある幾人かの人々からのクールノー型の競争に直面したとしても、レントを得ることができるものもある*5フェデラーナダルジョコビッチ*6)。ローマーにとって実は厳格な独占力は必要ではなく、アイディアの所有者にレントを帰属させるだけで良いのだ。


Vollrathは以上の話を

  • 非競合的なアイディア/技術
  • それらが体化されて非常に排除的である
  • そのアイディア/技術の所有者間でクールノー型の競争がある

ということが、ローマーの条件

  • 競合投入財が規模について収穫一定
  • 非競合的なアイディア/技術が正の報酬を得る

を満たしつつ成立することが可能である、とまとめている。その一方で、非競合的なアイディアはとにかく存在しないのだ、などという話は自分にとって意味をなさない、と述べている。


では、その場合、オイラーの定理との関係はどうなるのだろうか? この点についてVollrathは、この世界では、労働、資本、土地などの競合財の所得は限界生産物より少なくなる、と指摘している。例えばVollrathがヒューストン大学から受け取る給与の一部は、稀少であり体化された排除的だが非競合的な投入(大学院の一年生にマクロ経済学を教えること)を提供した対価である。しかし残りは、競合投入財である時間に対する対価である。この競合的な時間に対する対価は、自分の時間の限界生産物より少なくなっている、それが前回エントリで提示したトリレンマの帰結だ、と述べてVollrathはエントリを結んでいる。

*1:Andolfattoのエントリのタイムスタンプは19日13:03、ツイートが13:06なのに対し、Vollrathのツイートは11:39なので(エントリにタイムスタンプは表示されていない)、1時間半ほどVollrathの方が早かったことになる。

*2:ちなみにローマー自身も、ノアピニオン氏とのツイッター上でのやり取りの中で、その区別が軽視されてきた、と憤慨している。

ちなみにこのローマーの2番目のツイートではNick Roweのエントリが槍玉に挙げられているが、それに対してRoweの代理とばかりにAndolfattoが以下のように応じている。

*3:cf. ここ

*4:この点についてはAndolfattoも、Salim Furthという人のツイートに応じる形で間接的に指摘している。

*5:これはここの末尾で言及したRoweのモデルに似た考え方である。

*6:Vollrathはこの前段で、複製が困難な技術の例としてテニスプレイヤーを挙げ、フェデラーの持つ技術は自分には複製不可能だが、ナダルジョコビッチには可能で、フェデラーを負かすこともある、と述べている。