ロドリック「1990年代に世界経済と国内経済・社会の主客転倒が生じた」

昨日紹介したロドリックインタビューから、その他のロドリックの発言の概要をまとめてみる。

  • グローバル化は相異なるレントシーカー集団の相対的な力関係を変え、レントシーキングの土俵も変わったと思うが、レントシ−キング自体が増加したかどうかは分からない。
  • グローバル化を盲目的に持ち上げ、その恩恵を誇張し、マイナス面を過小評価したことによって、我々は事実上、ある種の権益に特権や優先権を与えてしまった。そのことが、製薬会社や海外の投資家が自分の欲しいものを易々と手に入れた一因。
  • 貿易協定によって強力になったレントシーカーは、銀行などの金融機関、多国籍企業、製薬会社の3つ。その影響は、投資ルール、金融サービス協定、知的財産権に見て取ることができる。
  • グローバル化は社会の分断に寄与した。それは格差拡大だけではなく、社会の相異なる集団同士の「社会的距離」の拡大という形でも表れている。資産を持ち、国境を越えたネットワークを形成しているコスモポリタンのグループと、資産やネットワークを持たず、地域共同体と運命を共にする人たちのグループとの間の距離である*1
  • その分断により、金融や政治のエリートは自己中心的だ、という感情が広く形成されている。企業が地元の良く訓練された労働力や公共サービスを必要としていた時には、地域社会の健全性は彼らにとって重要だった。企業が世界のどこでも操業できるようになると、地域社会との結び付きは弱まる。彼らは、もう君たちは必要ない、とあからさまには言わないが、グローバル経済での競争のため税金の低いところに行く以外に選択の余地がない、と言うようになる。銀行や大企業は、金融危機時に救済してもらう時を除き、政府に頼る必要はない、と考えるようになった。
  • 逆説的だが、左右ともに、自らの政策を正当化する言い訳にグローバル経済での競争を使っている。左派は、競争のためにインフラと教育に投資しなければならない、と言い、右派は、競争のために税金を下げ規制を緩和する必要がある、と言う。グローバル化は、そうしたことを余儀なくさせる外部の怪物として扱われている。しかしかつては、世界経済は、国内の社会が繁栄、完全雇用、包括的社会、平等といった目的を達成するために役立つものとされていた。1990年代以降に優先順位が逆転し、グローバル化が目的に、国や社会が手段になってしまった。
  • 過去2年間の反グローバル化の動きの多くが排外的、人種差別的、権威主義なものとなったのは、左派が存在感を失ったため。20年前にグローバル化の反動について警告した時には*2、そうした分断による経済的・社会的不満を拾い上げるのは左派の役割なので、その反動は左派に取って有利な話になると考えていた。実際、19世紀後半の米国や南米のポピュリズムは、排外的・人種差別的・民族主義的なものではなく、金融や企業のエリートに焦点を当て、社会改革や経済における規制を推進した左派ポピュリズムだった*3。しかし、欧米の左派は1990年代以降のグローバル化を推進する側だったため、簡単にその立場を捨てることができなかった。ヒラリー・クリントンの大統領選挙の顛末にそのことが良く表れている。また、移民問題も右派の主張が人々に受け入れられやすくなる一因となった。
  • 悪しきポピュリズムを斥けるために良きポピュリズムが必要。良きポピュリズムとは、市場資本主義の暴走を食い止めるもので、ニューディールが一つの例。ただし今日では、ニューディール当時と違い、単に福祉国家を拡大すれば良いというものでもない。確かに社会保障セーフティネットという点で米国は欧州に後れを取っているが、それは主たる課題ではない。福祉国家は基本的に市場の生産物を税や移転システムを通じて再分配する仕組みだが、今日必要とされているのは、市場の生産段階および生産の前の段階における改革。即ち、技術革新や自動化の果実をより包括的なものとし、技術への関与について平等感を高め、少数のエリートと大衆とのギャップを縮めることである。それは教育、知的財産、規制、独占禁止政策における改革となり、ニューディール当時の改革とは随分様相が違ったものとなる。

*1:cf. ここで紹介したミラノビッチの議論。

*2:cf. ここここ

*3:cf. ここで紹介したロドリック論文。

*4:cf. ここ