クルーグマンがファンブルしたこと

クルーグマンが、自らの1990年代末の日本に関する分析を振り返り、自分の最良の仕事であった、と書いている。そして、モデルを書き下ろすまでは流動性の罠など幻想に過ぎず、日本の金融当局が仕事をしていないだけだと思っていたが、モデルを書いてみたらそうではなく、流動性の罠が現実であることを認識した、と述べている。
今までもクルーグマンは同様のことを度々述べているが、今回、その際に失敗も犯したことをさりげなく認めている。

Oh, and the model also said positive things about fiscal policy — actually, a multiplier of one even with full Ricardian equivalence, although I bobbled that in the original paper, because I didn’t use the model carefully enough. That was definitely not what I was looking for at the time.
(拙訳)
なお、モデルは財政政策についても肯定的なことを述べていた。実際のところ、完全なリカードの等価性の下でも乗数は1となった。ただ、最初の論文ではモデルを十分に注意深く扱わなかったため、私はその結果を取りこぼしてしまった。それは当時私が求めていた結果ではまったく無かったからだ。


かつてサマーズは、クルーグマンの誇るこの研究を、「缶切りがあると仮定しよう」という経済学ジョークに相当するものだと批判したことがあったが、クルーグマンが同じモデルから当時と今で異なる含意を導き出している(当時=金融政策、現在=財政政策)のを見ると、「試験問題は同じだが回答が変わる」という別の経済学ジョークに通ずる気もする。