リアルビジネスサイクル理論と高校生五輪

ロジャー・ファーマーが、以前ここで紹介したようなエドプレスコットの研究の進め方を、オリンピックレベルのゲームを高校生レベルに引き下げるようなもの、として表題のブログ記事で槍玉に挙げている(原題は「Real business cycle theory and the high school Olympics」;H/T Economist's View)。

For example, consumption, investment and GDP are all growing over time. The low frequency movement in these series is called the trend. Ed argued that the trends in time series are a nuisance if we are interested in understanding business cycles and he proposed to remove them with a filter. Roughly speaking, he plotted a smooth curve through each individual series and subtracted the wiggles from the trend. Importantly, Ed’s approach removes a different trend from each series and the trends are discarded when evaluating the success of the theory.
After removing trends, Ed was left with the wiggles. He proposed that we should evaluate our economic theories of business cycles by how well they explain co-movements among the wiggles. When his theory failed to clear the 8ft hurdle of the Olympic high jump, he lowered the bar to 5ft and persuaded us all that leaping over this high school bar was a success.
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Keynesian economics is not about the wiggles. It is about permanent long-run shifts in the equilibrium unemployment rate caused by changes in the animal spirits of participants in the asset markets. By filtering the data, we remove the possibility of evaluating a model which predicts that shifts in aggregate demand cause permanent shifts in unemployment. We have given up the game before it starts by allowing the other side to shift the goal posts.
We don't have to play by Ed's rules. We can use the methods developed by Rob Engle and Clive Granger as I have done here. Once we allow aggregate demand to influence permanently the unemployment rate, the data do not look kindly on either real business cycle models or on the new-Keynesian approach. It's time to get serious about macroeconomic science and put back the Olympic bar.
(拙訳)
例えば消費、投資、およびGDPは皆時間と共に成長する。これらの系列の低頻度の動きはトレンドと呼ばれる。エドは、景気循環を理解する上では時系列のトレンドは擾乱に過ぎないと論じ、それをフィルタで取り除くことを提案した。大雑把に言えば、各系列について平滑化された曲線を描き、小刻みな動きからトレンドを除去する、ということだ。重要なのは、エドの手法は各系列について相異なるトレンドを取り除き、理論の成功を評価する際にはそれらのトレンドは破棄される、ということだ。
トレンドを除去した後は、小刻みな変動が手元に残される。エドは、小刻みな変動同士の共変動をどれだけ上手く説明できるかによって景気循環の経済理論を評価すべき、と提案した。彼の理論がオリンピックの高跳びの8フィートのハードルをクリアできなかった時、彼はバーを5フィートまで下げ、この高校レベルのバーを飛び越えたら成功だ、と我々皆を説き伏せたのだ。
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ケインズ経済学は小刻みの変動を扱っているのではない。それは、資産市場の参加者のアニマルスピリットの変化によってもたらされた、均衡失業率の恒久的な長期の変化を扱っているのだ。データをフィルタリングすることは、総需要の変化が失業率の恒久的な変化をもたらす、という予測を行うモデルを推計する可能性を奪うことになる。ゲームが始まる前に、相手方がゴールポストを動かすのを認めて試合を諦めてしまったことになる。
我々はエドのルールでプレーしなくても良いのだ。我々は、ここで私がしたように、ロブ・エングルやクライヴ・グレンジャーが開発した手法を用いることができる。総需要が失業率に恒久的に影響することを一旦認めれば、データはリアルビジネスサイクルモデルにもニューケインジアンの手法にも寛大ではなくなるように思われる。今やマクロ経済学に真面目に取り組み、オリンピックのバーに戻すべき時なのだ。


ファーマーによると、プレスコットが主導したミネソタのカリブレーター派のスローガンとなったのは、「すべてのモデルは間違っている」というジョージ・ボックスの言葉だったという。そして、モデルとデータが矛盾した時、データが間違っているに違いない、としたプレスコットの反応を、まさに天才的、と評している。理論の作成方法のみならず理論の判断基準をも書き換えたカリブレーター派によって、それまでの時系列計量経済学は、錬金術エーテルやフロギストンなどと同じく、歴史のゴミ箱に追いやられた、とファーマーは言う。
ケインジアンは当初はプレスコットのやり方に異を唱えたが、その抗議が十分では無かったため、いつしかまともな計量経済学者でさえホドリック=プレスコット・フィルタでデータを平滑化することが普通のこととなってしまった。プレスコット景気循環を、雇用やGDPや消費や投資の間の4〜8年の周期における共変動と特徴付け、その変動における自然失業率からの乖離は、好況時と不況時の間の家計の労働の代替によって起こる、とした。この理論での不況は、モジリアニの有名な言葉を借りれば、「伝染性の怠惰の突然の発生」ということになる。
ケインジアンプレスコットの理論に異を唱え、不況の原因が何にせよ、価格や賃金が正常水準に調整されるのを妨げる「摩擦」によって低雇用が続く、と論じた。その際、彼らは、サミュエルソン新古典派総合の考え方、即ち、景気循環は古典派的な唯一の定常状態の周りの変動である、という考え方を指針としたのだが、それによってプレスコットのルールでプレーすることにも同意してしまった。両派とも、経済は自動安定化装置を備えたシステムであり、自然に任せれば自然失業率に戻る、という見方を受け入れた。そのため、ケインジアンもデータを平滑化してバーを高校レベルに設定するようになってしまった、とファーマーは言う。それに対して、均衡失業率が長期的にシフトすることも考慮し、バーを五輪レベルに戻すべき、というのが上記引用部の後半部分におけるファーマーの主張である。