サーチ理論で説明できること、できないこと

ジョン・クイギンが、以下の三段論法でサーチ理論を腐している

  • 経済学において今や失業の主流理論となったサーチ理論では、職探しの効率が良くなれば失業率は減少するはず。
  • インターネットによって職探しは効率化したので、この理論によれば、過去20年間に失業率は低下を続けているはずだが、現実にはそうなっていない。
  • よって、サーチ理論には問題あり。それを使い続けている経済学界にも問題あり。


これを受けてマイク・コンツァルが、関連する話として、3年前に彼がコチャラコタのDMPモデル*1による失業の説明に反論したことを引き合いに出している。コチャラコタのその説明は、彼の2010年の年間報告書に掲載されたもので、同報告書は金利とインフレについてのフィッシャー式逆さ眼鏡派的解釈が批判の的になったが、失業の説明も同様に危ういものだったという。


報告書の中でコチャラコタはDMPモデルを以下の式にまとめている。
  B = u/v * (p-z) * 定数


記号の説明は以下の通り。

B(Benefit=便益)
雇用の意思決定者である企業が欠員を生じさせるかどうかは、その費用が便益を下回るかどうかに依存する。
u/v(Unemployment-Vacancy Ratio=失業率欠員比率)
失業率を欠員率で割ったもの。この比率が高いと、企業にとって利用可能な選択肢が多くなりかつ改善するため――しかもより低賃金で――便益が高くなる。
p(Productivity(after-tax)=税引き後生産性)
生産性が高ければ、企業にとって雇用から得られる利益は高くなる。法人税、個人税、売上税は税引き後生産性を引き下げる。
z(Utility)=効用
働かないことの労働者にとっての効用。失業保険の受取など。


2007年12月にはu=5%、v=3.1%だったが、2010年12月にはu=9.4%、v=2.2%となった。そのため、u/vは165%増えたことになる。pとzに変化が無ければ、雇用を創出することによる企業の便益は倍以上に増えたことになるが、実際には雇用は創出されなかった。これについての一般的な説明は、名目価格の硬直性によって企業が需要不足に直面していたため、というものだが、pとzが変化したとも考えられるのではないか、とコチャラコタは言う。もし財政赤字や政府債務の増大によってpが10%低下して1から0.9となり、失業保険給付期間の延長によってzが0.05増大して0.73から0.78になったならば、雇用を創出することによる企業の便益の増加は165%ではなく僅か18%となる。その場合、需要不足を前提にした金融緩和策は行き過ぎということになる。


コチャラコタはまた、DMPモデルから自然失業率u*を計算できるとして、もしpとzが2007年12月当時のままならば、u*は5.8%だった、という数字を示している。しかしpが10%低下し、zが0.05増大したならば、u*は8.7%となり、9%だった当時(2011年7〜9月)の失業率に近くなる。


こうしたコチャラコタの説明について、コンツァルは以下の問題点を指摘している。

  • 上式には金融政策の入り込む余地が無い。ロバート・ホールらはゼロ金利下限や商品市場が清算されない状態をDMPモデルに持ち込み、現実世界に近い結果を得たが、コチャラコタは言及していない。
  • Shimer(2005)は、我々が目にする失業率の変動をこのモデルから生産性の変化によって説明することはできない、ということを示した。しかも、最近の景気後退期には生産性はむしろ上昇しており、2008年以降の大収縮期の生産性はほぼ通常のペースで上昇している。
  • pの10%の低下とzの0.05の上昇という数字は、リチャード・フィッシャーがインフレ高騰を予測する基になった勘(gut)と変わらない。フィッシャーの勘は外れ続けており、ほとんどビョーキの域に達している。米国経済の行く末を決定する上で世界で最も大きな力を持つ人々が、バーナンキへの不同意をこのように決めているとはあな恐ろしや。
  • 失業保険が失業期間の長期化をもたらしているというならば、それを貰える人と貰えない人で結果が違ってくるはず。SF連銀の研究者が実際にそれを調べたが、失業給付延長の失業率への影響は0.4〜0.8%ポイントに過ぎず、しかもスコット・サムナーが指摘したように、失業給付期間の延長自体も内生的に決まるため、この結果はルーカス批判に該当することに注意する必要がある。
  • 債務が圧し掛かった家計で職の重要性が増し、新卒者が職を見つけられずに職歴に大きな傷が残るのを心配している不況下で、zは下がったと考えるのが自然ではないか。オバマ大統領が雇用創出者を怯えさせ失業者が十分に飢えていないために自然失業率が9%近くに達したと本当に信じているならば、いかなる計量経済学を使っても説得するのは難しいが、税金引き下げや規制緩和などを訴える銀行や富裕層や企業経営者だけでなく、必死に仕事を探し求めている労働者や就職を控えた学生の声に耳を傾けたらどうか。彼らは魔法の休暇を享受しているわけでも、「z」を楽しんで日がな一日フェイスブックに耽っている無気力な負け犬でもない。


ちなみに、クイギンのエントリにはコンツァルより前にノアピニオン氏も反応しているが、サーチ理論が駄目ならば需要不足という説明になるのは分かるが、需要不足の発生や失業への影響についてもっときちんと定式化してくれないとその説明では満足できない、と述べている。



なお、コンツァルは、サーチ理論に絡んで最低賃金にも触れており、その件についてはサーチ理論が経済学者の反対を弱め、現実的に考える方向に働いているかもしれない、と指摘している。というのは、サーチ理論では、最低賃金が雇用に悪影響をそれほどもたらさない、と考える方が理に適っているからである。

  • 最低賃金が高いと、低賃金労働者は低賃金の仕事をより熱心に探すようになり、その仕事を受け入れることが多くなり、断ることが少なくなる。これは均衡雇用水準を引き上げる。
  • すべての職にサーチ摩擦が付き纏うならば、雇用者は職について独占力を幾分なりとも有していると考えるのが理に適っている。その場合、雇用者は市場清算価格まで賃金を引き上げないかもしれない。というのは、そこまで引き上げると全労働者の賃金を引き上げなくてはならなくなるからである。最低賃金はそれに抗する方向に働く。そう考えると、経済学入門で考えるのに比べて雇用への悪影響が少なくなることも説明が付く。

コンツァルは、こうした話はデータにも適合している、と指摘する一方で、同じサーチ理論を景気循環の話に持ち込み、データを無視してイデオロギーで語り出すと飛んでもないことになる、と改めてコチャラコタの誤謬に注意喚起している。

*1:cf. ここ