競争的労働市場での最適な最低賃金政策

オバマ大統領が一般教書演説で最低賃金を7.25ドルから9ドルに引き上げるよう提案したことを受けて、エコノブロゴスフィア最低賃金を巡って俄かに騒がしくなった。そんな中、EITCと最低賃金は代替的手段ではなく補完的手段である、と述べたマイク・コンツァルのエントリに、クルーグマンが「this is news to me」としてリンクした*1
コンツァルは、EITCと最低賃金の「相補性原理」のソースとして、自らがインタビュアーとなってまとめた労働経済学者Arindrajit Dubeのインタビュー記事を挙げているが、彼がリンクしたジャレッド・バーンスタインも同様のことを述べている。コンツァルはさらに、こうした見解の理論的裏付けとして、David LeeとEmmanuel Saezの論文「Optimal Minimum Wage Policy in Competitive Labor Markets」を挙げている。
以下は同論文の要旨。

This paper provides a theoretical analysis of optimal minimum wage policy in a perfectly competitive labor market and obtains two key results. First, we show that a binding minimum wage - while leading to unemployment - is nevertheless desirable if the government values redistribution toward low wage workers and if unemployment induced by the minimum wage hits the lowest surplus workers first. Importantly, this result remains true in the presence of optimal nonlinear taxes and transfers. In that context, a binding minimum wage enhances the effectiveness of transfers to low-skilled workers as it prevents low-skilled wages from falling through incidence effects. Second, when labor supply responses are along the extensive margin only, the co-existence of a minimum wage with a positive tax rate on low-skilled work is always (second-best) Pareto inefficient. A Pareto improving policy consists of reducing the pre-tax minimum wage while keeping constant the post-tax minimum wage by increasing transfers to low-skilled workers, and financing this reform by increasing taxes on higher paid workers. Overall, our results imply that the minimum wage and subsidies for low-skilled workers are complementary policies.
(拙訳)
本論文は、完全競争の労働市場における最適な最低賃金政策に関する理論的分析を行い、2つの重要な結果を得た。一つは、最低賃金による制約は、失業をもたらすものの、政府が低賃金の労働者に対する再分配を重視し、最低賃金による失業が余剰の最も低い労働者から始まるのであれば、望ましいものである、ということが示される。重要なことは、非線形の税と移転を導入してもこの結果は変わらない、という点である。その場合、最低賃金による制約は、低熟練労働者の賃金が帰属効果によって低下することを防ぐことにより、そうした労働者への移転をより効果的なものとする*2。二つ目は、労働供給の反応が外延効果に留まるのであれば、最低賃金と低熟練労働者への正の税率とが同時に存在することは、常に(次善の)パレート非効率性に帰着する*3。その場合のパレート改善的な政策は、低熟練労働者への移転を増やすことにより税引き後の最低賃金を維持しつつも税引き前の最低賃金を引き下げ、そうした改革に掛かる費用をより高賃金の労働者への増税によって賄う、というものになる。全般的に言って我々の結果は、最低賃金と低熟練労働者への補助は補完的な政策であることを示している。


上記の第一の結果については、論文の導入部で以下のように述べられている。

The first part of the paper considers a competitive labor market with no taxes/transfers. Although simple, this analysis does not seem to have been formally derived in the previous literature.
(拙訳)
本稿の最初の部分では、税や移転の存在しない競争的労働市場について考察する。この分析は、単純ではあるものの、従来の研究では正式な形で導出されたことが無いように思われる。


またその結果は、以下の形で図示されている。



この分析は、小生が以前ここで行った「極めて単純かつ乱暴な得失計算」を洗練させたもの、と言える。ちなみにその計算に関しては、

最低賃金が引き上げられた場合に、そこで雇われる人は、低い賃金でもいいから最も働きたいと思っている人(消費者余剰の大きい人)から雇われるわけではなく、どの程度働きたいという気持ちが強いかとは無関係にランダムに雇われる。そうすると、賃金上昇による消費者余剰の増加は、その分小さくなる。

というコメントを大竹文雄氏から頂いたが*4、その点についてリー=サエズは、上記の要約の拙訳にある通り、「最低賃金による失業が余剰の最も低い労働者から始まる」と前提してしまっている。その点については、論文中の以下の記述において、重要な前提であることを強調している。

First and most importantly, if the efficient rationing assumption condition (1) is replaced by uniform rationing (i.e., unemployment strikes independently of surplus), then a small minimum wage creates a first order welfare loss. In that case, a minimum wage may or may not be desirable depending on the parameters of the model (see Lee and Saez, 2008 for a formal analysis of that case).
(拙訳)
まず最も重要なことは、効率的割り当ての前提(1)が一様割り当てに置き換えられた場合、最低賃金の小額[の引き上げ]は[二次的ではなく]一次的な厚生損失をもたらす。その場合、最低賃金が望ましいか否かはモデルのパラメータに依存する(その場合の正式な分析については論文の2008年バージョンを参照)。

Theoretically, the minimum wage under efficient rationing sorts individuals into employment and unemployment based on their unobservable cost of work. Thus, the minimum wage partially reveals costs of work in a way that the tax system cannot. Unsurprisingly, if rationing is uniform (i.e., unemployment hits randomly and independently of surplus), then the minimum wage does not reveal anything on costs of work and it cannot improve upon the optimal tax/transfer allocation.
(拙訳)
理論的には、効率的割り当て下における最低賃金は、個人の見えざる労働コストに基づいて彼らを雇用者と失業者に振り分ける。従って最低賃金は、税制には不可能な形で労働コストを部分的に明らかにする。驚くべきことではないが、もし割り当てが一様ならば(即ち、失業が余剰に関係なくランダムに襲うならば)、最低賃金は労働コストについて何ら明らかにすることはなく、最適な税/移転の配分をさらに改善することはできない。


その上でリー=サエズは、そうした効率的割り当ての前提が正当化される理由として以下を挙げている。

  • 各種実証研究の結果。
    • Neumark and Wascher(2006)は、最低賃金が失業に与える影響が、より弾力性の高い=より余剰の低いティーンエイジャーや家庭の第二の働き手において強いことを示した。
    • Luttmer(2007)は、より直接的に、留保賃金(の代理変数)が最低賃金に連動しないことを示した。これは、家賃規制が住宅市場の低迷を招くことを示した研究(Glaeser and Luttmer(2003)[WP])と好対照。
    • ただし、効率的割り当てを達成するためのサーチコストの問題は残る。
  • 雇用者が雇用の削減をレイオフではなく労働時間の短縮によって行うならば、効率的割り当ては自動的に満たされる。
  • 雇用と解雇に僅かでも費用が掛かるならば、雇用者は労働者の入れ替えを最小化しようとする。その場合、「一様な割り当て」は現実的な想定とはならない。

*1:クルーグマンが「...while I was grubbing around, Mike Konczal produced the perfect post summing it all up」と述べているように、コンツァルのエントリはこの件に関するブロゴスフィアにおける見解の良いまとめになっている。ちなみにクルーグマンの当該エントリには、(最近企業の余剰資金を巡ってクルーグマン火花を散らした)タイラー・コーエンがリンクし、「I am always happy to link to interesting new arguments which have not been considered on this blog before」と述べた上で、クルーグマン/コンツァルがリンクしていない関連ブログエントリを2つ追加で紹介している(Angusデビッド・ヘンダーソン)。そのほか、マンキューが、9ドルという数字はどうやって弾き出したのだ、と首を捻っている

*2:論文の本文では、(コンツァルもリンクしている)Jesse Rothsteinの論文から、例えばEITCの場合は1ドルの増加が労働者の賃金の0.73ドルの増加にしかならない(=残りは雇用者の手に渡ってしまう)という帰属効果(incidence effect)に関する計算結果を引用している。

*3:本文ではモデルの外延効果(extensive margin)と内延効果(intensive margin)について以下のように説明している:
In our model, we abstract from the hours of work decision and focus only on the job choice and work participation decisions. Such a model can capture both participation decisions (the extensive margin) as well as decisions whereby individuals can choose higher paying occupations by exerting more effort (the intensive margin).
(拙訳)
我々のモデルでは、労働時間を幾らにするかという意思決定は捨象し、仕事の選択と労働参加の意思決定にのみ焦点を当てている。そうしたモデルでは、参加に関する意思決定(外延効果)と、もっと努力することにより収入の多い職業が選択可能になるという意思決定(内延効果)の双方を捕捉することができる。

*4:正確には、小生のTBへの応答エントリだと小生が勝手に解釈した。