半年ほど前に小生が要旨を紹介したピサ大学のLuciano Fantiの論文「経済成長、年金の賦課方式、および定年(Growth, PAYG pension systems crisis and mandatory age of retirement)」がツイッター上で少し話題になったようなので、最初に紹介した者の責任として、というわけでもないが、自分なりに簡単に内容を紹介してみる。
この論文のベースになっているのはダイアモンドのOLGモデルであるが、通常のOLGモデルでは
- 若年期 :働いて貯蓄する
- 老齢期 :貯蓄を取り崩す
という世代ごとの行動が想定されている。
Fantiはそれに年金と老齢期の労働を取り込んで、次のようなモデルを提示している。
- 若年期 :働いて貯蓄する + 年金の掛け金を払う
- 老齢期 :貯蓄を取り崩す +
- (1−λ)期間 :働く (この時期の労働では年金の掛け金は払うが貯蓄はしない)
- λ期間 :年金を貰う
その上で、老齢期の労働(論文では定年引き上げを想定している)は経済成長率に悪影響を与える、としているが、その理由は
- どうせ年取っても働くんだし、と老齢期に備えるための若年期の貯蓄意欲が削がれ、投資に悪影響を及ぼす
- 労働市場で競争が激化し、賃金が低下する
の2点による、としている。
なお、uncorrelated氏はλが減ると年金総額が増える、という点でこのモデルの現実性に疑問を投げ掛けているが、そうなる理由は、老齢期の労働期間中も年金の掛け金を納めることによる。uncorrelated氏によれば、その場合は年金の保険料率を下げるはず、とのことである。即ち、労働期間が長くなる分、年金の掛け金の支払いも薄く長くなり、総額は変わらないはず、というわけだ。ただ、現在の定年延長の話は、年金支給額を減らすために支給開始期を遅らせることに伴って高齢期に収入が無い期間が生じてしまう問題への対応、という側面が強く、定年延長したら年金の支払い総額が増える、だから保険料率を全体的に下げよう、という方向の話はあまり出ていないように思われる。
[5/16追記]
なお、uncorrelated氏は、後続のエントリやツイッターで、保険料率(論文ではτと表記)が一定という前提についても非現実的という疑問を投げ掛け、その反例として日本の保険料率の過去の推移を挙げている。しかし、これは論文の趣旨をやや履き違えた捉え方のように思われる。確かに、長期の時系列推移の実証データを検証する狙いの論文ならば、保険料率一定は非現実的であり、瑕疵とさえ言えるかもしれない。だが実際には、これはモデルに基づいて政策効果を測る論文であり、その際、目的の変数(この場合はλ)以外を一定に置く、というのは一般的な手法である(other conditions being equalとかceteris paribusという慣用句がその際に使われることも多い)。
ただし、仮にλとτに明確な因果関係があるならば、uncorrelated氏の言うようにτを一定に置くのはまずいということになる。だが、上述の通り氏が問題視する経路によるτの引き下げは実際問題として政策担当者の俎上に上がっていない。そして言うまでも無く、政策効果の分析においては、政策担当者の意図が前提条件として重要な位置を占める。しかも、氏はλ下落で年金の受取総額が増えることにより若年層の貯蓄インセンティブが損なわれることを気にされているが、このモデルではそれは副次的な話に過ぎず、上述の通り、それよりは定年延長後の労働自体が貯蓄インセンティブを失わせる要因となっている*1。
また、小生がツイッターで氏に指摘したのは、過去2回(平成6年と平成12年)の厚生年金支給開始年齢引き上げの試み(=λ引き下げの試み)においては、τが平成37年度時点で30%以下になることを目標としていた、という事実である(cf. この資料のp.4)。これは、日本の政策担当者がそのτの上昇スケジュールを上限と見做していることを示しており、その上限を突破しないためにλを引き下げる、という意図のもとに行動していることを示唆している。そうした意図の下での政策効果の分析において、τを一定と置くことがそれほど非現実的なようにも思われない*2。