既に一度起きていたGrexit

5/21付けNYT記事冒頭より(Mostly Economics経由)。

The decision to suspend Greece from the common currency became inevitable when it emerged that Athens had fiddled with the accounts yet again amid chronic economic weakness, forfeiting what credibility in the international arena it still had left.
That was in 1908.
After diluting the gold content in its coins, Greece left the Latin Monetary Union, whose founding members included France, Italy, Belgium and Switzerland. More than a century later, history may repeat itself, albeit in vastly different circumstances.
(拙訳)
経済が慢性的に弱い状況にある中で、またもやアテネが数字を弄んでいたことが明らかになり、国際社会において残っていた最後の信用を失った時、ギリシャを共通通貨において資格停止処分とすることは不可避となった。
それは1908年のことである。
硬貨に含まれる金の比率を下げた後、ギリシャはラテン通貨同盟を離脱した。その同盟の創設国はフランス、イタリア、ベルギー、スイスであった。それから一世紀以上経って、状況はかなり違うものの、歴史はまた繰り返すのかもしれない。

Mostly Economicsは、当時と今回のもう一つの共通点として、共通通貨にギリシャが加わったのが創設の2年後(Wikipediaによるとラテン通貨同盟の創設は1866年でギリシャがスペインと共に加盟したのは1868年、ユーロの創設は1999年でギリシャ加盟は2001年)であることを挙げている。

ちなみに1910年にギリシャはラテン通貨同盟に再加盟するが、その時には同盟は事実上終焉に向かっていたとの由。


またこのNYT記事では、もう一つの共通通貨解体の例として、第一次大戦後のオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊を挙げている。

When Austria-Hungary collapsed in 1918, after World War I, and with it a currency zone covering part of today’s euro zone, the new governments of the region created national currencies by simply stamping the Austro-Hungarian krones circulating in their country with a national marking. Armed troops patrolled the borders to stop people from ferrying krones to the country they thought would have the strongest currency to get the most valuable stamp.

In 2012, much of the conversion back to Greek currency, the drachma, would happen electronically, during a banking holiday that would temporarily freeze online transfers out of the country, but the borders would still have to be sealed to prevent people from smuggling euros out of Greece after the devaluation has taken place, an awkward undertaking in postwar Europe. A substantial default on Greece’s public and private debt would almost inevitably follow: the value of Greek liabilities would surge overnight as the revived currency would trade at an estimated 50 percent to 80 percent discount to the euro, economists say.
(拙訳)
第一次大戦後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊し、今日のユーロ圏の一部をなす通貨圏もそれと共に崩壊した時、その地域の新政府は、単に自国に流通しているオーストリアハンガリー・クローネに国章を押印することで自国通貨を創造した。武装した軍隊が国境をパトロールし、人々が最も強い通貨になると思われる国にクローネを運んで最も価値ある押印を得ようとするのを阻止した。
2012年においては、ギリシャの通貨ドラクマへの逆戻りの多くは、海外へのオンライン振込みを凍結したバンクホリデーの間に電子的に行われるだろう。しかし減価後に人々がユーロをギリシャ国外にこっそり運び出すのを防ぐため、国境はやはり封鎖されなければならないだろう。戦後の欧州があまり目にしたくない措置である。ギリシャの公的ならびに民間の債務不履行が相当程度発生するのはまず避けられない。復活した通貨はユーロに対し50%から80%切り下がると経済学者は見ており、それによってギリシャの負債は一夜にして膨れ上がることになる。

「Both remaining in Euro and exit are going to be painful..As per the article some say exit is less painful and others say remaining is less painful..」とMostly Economicsが言うように、まさに去るも地獄、残るも地獄の状況にギリシャは置かれていると言えそうだ。


また、Mostly Economicsは、この件に関するもっと優れた記事としてこちらのBBC記事を挙げている。この記事についてはBBC邦訳も用意しているが、同記事ではラテン通貨同盟をはじめとする共通通貨の歴史を紐解き、最後はその歴史を古代ギリシャにまで遡っている。その上で、以下のように皮肉っぽく締めくくっている。

 このように歴史をひもといてみると、私たちには次のようなパラドックスが見えてきます。
 古代ギリシャ人は通貨統合のパイオニアであり、それを持続させることに努力を惜しまなかったということです。一方、現代のギリシャ人は、通貨統合に参加するたびにその組織を脅かし、危機に陥れているのです。