に関する欧米ブロガーの考察については、本ブログでもこれまでここ、ここ、ここ、ここで取り上げてきたが、このクロニクル記事を機にそのテーマがまた少しブロゴスフィアで話題になっている。書いたのは英オープン大学教育工学教授のMartin Weller。
以下は記事の結論部。
Institutional reputation is largely created through the faculty's online identity, and many institutions are now making it a priority to develop, recognize, and encourage practices such as blogging.
For institutions and individuals alike, these practices are moving from specialist hobby to the mainstream. This is not without its risks, but as James Boyle, author of the book The Public Domain: Enclosing the Commons of the Mind (Yale University Press, 2008), argues, we tend to overstate the dangers of open approaches and overlook the benefits, while the converse holds true for the closed system.
For instance, I've found that since becoming a blogger, I publish fewer journal articles, so it has had a "negative" impact on that aspect of my academic life. However, it has led to so many other unpredictable benefits—such as the establishment of a global peer network that helps me stay up to date with my topic, increased research collaboration, and more invitations to give talks—that it's been worth the trade-off. Blogging may not be recognized formally, it may be a pain at times, and I may spend parts of my weekend deleting spam, but I have no doubts that becoming a blogger was a wise career choice.
(拙訳)
大学の学部の評判はそのネット上での存在感によって大きく左右されるようになっており、多くの学部が、ブログのような活動を発展させ、評価し、促進することを優先課題としている。
今やそうした活動は、組織においても個人においても、特定の人々の趣味の領域から、主流的な活動に地位を移しつつある。こうした動きにはリスクもあるが、The Public Domain: Enclosing the Commons of the Mindの著者であるジェームズ・ボイルが言うように、我々はオープンなアプローチの危険性を過大評価し、利益を見過ごしてしまう傾向がある一方で、クローズなやり方については逆の傾向がある。
例えば私は、ブロガーになって以来、学術誌に掲載した論文の数は減少したので、その意味での私の学者生活には「否定的な」影響があったことになる。しかし、予期せぬ福音も数多くあった。世界的な同僚研究者のネットワークの確立、および、それが専門分野の最新の動向に付いていく助けになったこと、あるいはそれによって共同研究や講演の依頼が増えたこと、である。それは前述の「否定的な」影響と引き換えにする価値があるものだった。ブログはまだ公けには学究活動として認知されておらず、続けるのが苦しい時もあり、週末をスパムコメントを削除するのに費やすこともあるかもしれないが、ブロガーになったことがキャリア上の選択として賢いものだったことには疑いを持っていない。
カール・スミスもこの記事の見方に賛同している。彼は、ブログを読んだ学生から只で働くという申し出を受けるようになったという自身の体験を紹介し、それから類推すると、大学が優秀な院生を惹き付けるか否かもブログに左右されるようになっても不思議ではない、と書いている。スミスはそのほか、以下のブログの利点を挙げている。
- 実世界と学界との間の正のフィードバック・ループ
- アイディアの形成過程の履歴がタイムスタンプやリンク付きで残ること*1
一方、ロビン・ハンソンはやや慎重な見方を示している:
The key difference is between getting attention vs. making impressive original intellectual contributions. Being cited by major news media, or having so many blog readers, can credential you as getting attention. But so far only journal articles, Ph.D. theses, and certain books and conference papers are accepted as credentials for impressive original intellectual contributions. For these, high quality experts are seen to judge the intellectual contribution.
Yes blog posts can contain impressive original intellectual contributions. Newspaper columns can contain them as well. So can speeches. Even spontaneous party conversations can contain them. The problem is, we don’t have systems set up for experts to evaluate these things in such terms. And if an intellectual contribution isn’t credentialed as such by academic experts, then it basically doesn’t exist as far as academia is concerned.
(拙訳)
注目を浴びることと、印象に残る独創的な知的貢献をすることの間には重要な違いがある。大手メディアに引用されること、多くのブログ読者を抱えていることは、注目を浴びている証にはなるだろう。しかし現段階では、学術誌掲載論文、博士論文、ある種の書籍、およびセミナー論文だけが、印象に残る独創的な知的貢献の証として受容されているのだ。それらについては、高度な資格を持つ専門家が知的貢献の程度を判断したものとされている。
確かにブログポストは印象に残る独創的な知的貢献を含んでいるかも知れない。しかし、新聞論説や、演説、あるいはパーティーでの即席のやり取りについてさえも同じことが言える。問題なのは、そうした知的貢献について専門家が評価するシステムを我々が持ち合わせていないことだ。そして、学界の専門家に知的貢献として認められない限り、それは学界においては存在しないも同然なのだ。
この後にハンソンは、ブログ記事を専門家に評価してもらう仕組み作りについて考察しているが、そうした評価を行うインセンティブを持たせるのが難しい、と述べている。