ハード・プレイ

昨日*1は、欧州の経済学大学院において米国方式を取り入れたために弊害が出た事例を紹介したが、シンクタンクブリューゲル*2ブログエントリでは、経済学の別の分野においてもっと米国方式を推進すべき、と主張している(Economist's Viewタイラー・コーエン経由)。

具体的には、欧州にも米国のようなブロゴスフィアを構築しよう、という主張で、ブリューゲルがブログを立ち上げるに当たっての一種の決意表明になっている。


欧州のブログの現状に対する彼らの問題意識は以下の点にある。

  • 最近の欧州の経済問題に関する議論は、主に米国のブログで交わされた。
  • 欧州にはブロガーはいるがブロゴスフィアは存在しない。お互いへのリンクや双方向の議論が米国ほど密ではなく、ブロゴスフィアを形成するに至っていない。

その理由として同ポストでは以下の2つを挙げている。

  1. 欧州の経済に関する議論はその多くが各国内に留まっている。各国の経済学者は自国の新聞に自国の言語で意見を表明する。言語の壁は簡単に乗り越えられるかもしれないが*3、技術的な問題(=新聞という媒体)は、米国でMark ThomaがEconomist's Viewで行っているような集約作業を難しくする。
     
  2. 「文化的」問題。欧州は高校で「討論」の授業が無く、学界の議論の対立も先鋭化しない(コクラン/ハバード対クルーグマン/デロングのような直接的な対立関係は欧州には存在しない)。VoxEUなども、議論の場というよりは知識の伝達の場という側面が強い。

後者の点について同ポストでは、クルーグマンの言葉を引きながら、「残念なこと」と嘆いている:

This is unfortunate as it certainly reduces the overall quality of debate. As Paul Krugman puts it for the US

“we’ve seen some famous names run into firestorms of criticism – *justified* criticism – even as some “nobodies” become players. That’s a good thing! Famous economists have been saying foolish things forever; now they get called on it."

The recent episode surrounding the debate on bubbles and potential output where a Fed official directly responded to US bloggers was a striking illustration of the role that the American blogosphere has been playing on actual policy debates in the last few years. But while American “star economists” do not hesitate to battle in an arena where readers and critics do not necessarily match their credentials, European economists continue to view the econ blogosphere as a distraction from discussion with the very serious people.
(拙訳)
これは間違いなく議論の質を全般的に引き下げるもので、残念なことである。ポール・クルーグマンは米国の状況を以下のように描写した:

有名な経済学者の幾人かが批判――正当な批判――の嵐に曝され、その際に「無名の人」が主役を張るケースさえあった。これは良いことだ! 有名な経済学者は以前は馬鹿なことでも言いっ放しになっていた。今や彼らはその言葉に責任を持たなくてはならない。


バブルと潜在GDPに関する議論を巡ってFRBの高官がブロガーに直接反応した最近の一件は、米国のブロゴスフィアが実際の政策論議に対してここ数年果たして来た役割を象徴するものとなった。しかし、米国の「スター経済学者」は、読者や批判者が必ずしも自身のような箔付きばかりではない舞台で闘うことを恐れないが、欧州の経済学者は依然としてエコノブロゴスフィアを、極めて真面目な人々同士の議論からは外れたものと見做している。

欧州においてブログが活発でないという話は以前ここここで取り上げたことがあったが、上記のエントリの問題意識もそれらと共通していると言えそうである*4。ただ、一流の経済学者が市井の人々との論争を恐れない、という米国のブロゴスフィアの特徴は、小生も以前ここここで指摘したところだが、その点では米国がむしろ例外的で、他国が簡単に真似できる話では無いかもしれない*5

*1:実際に投稿したのは今日の昼頃ですが(^^;)。

*2:この団体については以前ここここで言及した。

*3:これは自動翻訳を前提にしているのか(欧州の言語同士ならば自動翻訳も使い物になるのかもしれない)、それとも皆が英語で書くようになることを前提にしているのか? いずれにしても、日本人からすると少し違和感のある見解のように思われる。

*4:ただし英国は話が別かもしれない。リンクした前者の2009/4/21エントリでは「将来英国で活発なブロゴスフィアが形成されるのは考えられないことではない」というフェリックス・サーモンの意見を紹介したが、今回のブリューゲルのエントリでは「The UK already has an impressive blogosphere that is tightly integrated with the American one」と述べている。

*5:後者の2009/7/16エントリで小生は欧米をひとまとめにして論じてしまったが、今回のブリューゲルのエントリを読む限り、実際には欧州でもあまり見られないことのようである。