東日本大震災で回避されたこと

Mostly EconomicsでCity JournalにClaire Berlinskiが書いた記事が紹介されていた。冒頭では阪神大震災と比較した東日本大震災に対する彼女の評価が記されている。正直なところ小生にはその評価が正しいのかどうか判断が付きかねるが、以下に訳してみる。

地震危険度の削減は今日の世界が直面する都市政策にとって最大の課題である。それが言い過ぎだと思うならば、30秒で百万の人々が命を落とすようなことが他にあり得るかどうか考えてみて欲しい。それにも関わらず、地震に関する政策はあまり議論されることがなく、議論されたとしても誤解に満ちている。広島型原爆の6億倍のエネルギーを放出した3月11日の東日本大震災を例に取ろう。続いて発生した福島の原子炉の部分的メルトダウン原子力に対する国際的なヒステリー反応を引き起こしたが、それより遥かに致命的な脅威が回避されたことに気付いた人はほとんどいないように思われる。地震学者のRoger Bilhamが巧みに言い表したように、地震が活発な地域の住宅は世界の知られざる大量破壊兵器なのだ――そして日本の大量破壊兵器は行使されなかった。日本の建物――少なくとも地震に伴う津波(その自然の力に対しては我々は未だ無力なのだが)で押し流されなかった建物――は倒れることが無く、中の人々は生き延びた。
地震で倒壊した建物がこれほど少なかったことは、人類の第一級の勝利であった。そのことは、地震危険度の削減において国家が大いなる進歩を遂げ得ることを示した。1995年の神戸の震災では20万の建物が崩壊したのだ。しかし、世界各国は地震の脅威を喜んで無視しているように見える。そうした脅威は都市そのものが巨大化するに連れどんどん大きくなっているにも関わらず。
2010年1月にはハイチが地震に見舞われ、10万近い建物が倒壊した。病院、学校、政府の建物、刑務所、ホテル、教会、隣近所一帯のすべてが崩壊し、中にいた人々を葬り去った。地震の後、国際関係の学者から電子メールをもらった。その中で彼女は「地震に対する耐性が最も低い国で地震が頻繁に起きるというのは奇妙なこと」と書いていた。
そうした文章は、この問題についてあまり考えなかった人だけが書くものである。それは別に奇妙なことでは無い。実際のところ、それは本当では無いのだ。母なる自然は別に貧しい人に含むところがあるわけではない。そうではなく、地震が我々の関心を引くのはそれが大災害になる時であり、それが大災害になるのは建て方の悪い建物だらけの人口密度の高い都市部を地震が襲う時である。昨年、ポルトープランスを壊滅させたものよりも大きな地震が数多く発生したが、それらは何も無いところで起きたので、ニュースになることは無かった。カリフォルニアの1989年のロマ・プリータ地震、いわゆる「ワールドシリーズ地震」は、ポルトープランスと同程度の規模であった。しかし、死者はそれに比べて非常に少なく、63人であった。これはサンフランシスコの建物とインフラがきちんと設計されていて強度が高かったことによる。
神戸の震災の後、日本の技術者たちは建物とインフラを補強するために大規模な方策を講じた。彼らは橋の下にゴムのブロックを据え付けた。ドミノ倒しを避けるために、建物同士の間隔を広げた。追加のブレーシングや、免震パッド、油圧緩衝装置を導入した。3月の地震の1分前、自動地震警戒システムが日本人の携帯電話に警報を送信した。それに従ってエレベータは最も近い階で停止し、ドアを開いた。手術は中断された。東京からの映像は、高層ビルが風に揺れるトウモロコシの茎のように優雅に揺れる様子を映し出した。倒壊したものは一つもなかった。
同様に、ニュージーランドクライストチャーチを2月に襲った地震の爪痕は恐ろしいものだったが、驚くべきことは市の幾つかの建物が倒壊したことでは無かった。大部分が倒壊しなかったことこそ驚くべきことだった。地面の揺れの程度を示す最大加速度は大きなもので、観測史上最大級に属するものだった。そうした地震は、大抵の都市を壊滅させたことだろう。ニュージーランドの厳格できちんと適用された建築基準は、クライストチャートが全滅することを防いだのだ。
しかし多くの世界最大級の都市は、クライストチャーチよりはポルトープランスに近く、地震危険度が極めて高い。世界最大の10都市のうち8都市が断層線の上にある。それには理由がある。人々は水の近くの肥沃な土地を好む。長い期間に亘り、地震活動が海岸や水を通す谷、温和な微気候を形作る。人間の心は地理学的な時間のスケールでは働かないので、こうした魅力的な土地がどうやって形成されたのか疑問に思うことはまず無い。


この後にBerlinskiは、自身の住むトルコの耐震政策の無策ぶりを批判している*1。また、経済が発展して豊かになれば耐震政策ができるようになるので、それまでは仕方無い、という意見に対しては、チリを見よ、と反論している。チリは昨年2月27日の大地震を最小限の被害で乗り切ったが、両国の一人当たりGDPは大差無い、と彼女は指摘する。

また彼女は、成長を続ける世界の大都市が地震に対して無策を続けるならば、百万人の地震の犠牲者のニュースを目にするのも遠い未来のことでは無いだろう、と警告している。彼女が危険な都市として挙げるのは、ボゴタ、カイロ、カラカス、ダッカイスラマバードイスタンブールジャカルタ、カラチ、カトマンズ、リマ、マニラ、メキシコシティーニューデリー、キト、テヘランである。ちなみにロスと東京も大地震に見舞われる可能性という点では有力候補だが、その2都市はおそらく大丈夫だろう、ただしロスの方がより耐震性が高い、との由。なお、ニューヨークは人々が思うより危険性が高い、と今にしてみれば予言的なことも書いている。

*1:同時に人々の防災意識の乏しさを日本と対照させながら批判している。