とブルース・バートレット(Bruce Bartlett)が書いている(Economist's View経由)。
その心は、所属する党の強硬派とは反対の政策を推進している、という点にある。
ニクソンが大統領に就任した時、共和党の保守派は、彼が前任のジョンソン民主党政権の「偉大な社会」構想を逆転させることを期待した。しかしニクソンはそうせず、むしろそうした社会保障政策を補強するような政策を実施した。そのため彼は保守派から裏切り者と見做された。
同様に、オバマもリベラル派からブッシュ政権の政策を逆転させることを期待されたが、むしろそれを継続するような政策を実施している、とバートレットは指摘する。具体的には:
- 彼の景気刺激策はアドバイザーが必要だと思った規模の半分であった。
- 彼はブッシュの戦争と安全保障政策を変更無しに継続し、ブッシュ政権の国防長官を留任さえした。
- 彼が推進した医療保険政策はミット・ロムニーのような共和党員が直近に支持したものとほぼ同一であり、リベラル派の好んだ単一支払保険制度はにべもなく却下した。
- 彼は保守派の要求したブッシュ減税の継続を何の見返りも無しに受け入れた。
- 過去数週間に彼は共和党案を遥かに超える財政赤字削減策を支持した。
さらにバートレットは、リベラル派はニクソンをリベラル派と呼ぶことを一笑に付すだろうが、実際には今や彼が穏健なリベラル派だったことが明らかになっている、同様に、保守派はオバマを保守派と呼ぶことを一笑に付すだろうが、いずれはそれが広く認められるようになるだろうし、それが事実なのだ、と述べている。
なお、バートレットが記事で指摘する党の強硬派と相反する政策を取った大統領は、ニクソンとオバマに限られない。
- アイゼンハワーも、保守派から前任のルーズベルト民主党政権のニューディール政策を根こそぎ逆転させることを期待されたが、それを継続した。また、均衡財政を優先して戦争中の高い税率を継続し、議会共和党の減税要求を拒否した。さらに右派のヒーローだったジョン・マッカーシーを葬るのを手伝い、市民権に関してリベラル派と協調した。ジョン・バーチ協会のロバート・ウェルチは彼を共産主義者とさえ呼んだ。
- 逆にクリントンは、リベラル派からレーガン・ブッシュ政権の政策を逆転することを期待された。しかし彼は、中間層への減税と経済刺激策という公約を早々に放棄し、財政赤字削減を優先した。1995年までに彼は福祉削減で共和党と協調路線を取り、1997年にはキャピタルゲイン減税を実施した。1993年の財政赤字削減パッケージ政策が効を奏して顕著な財政黒字を計上するようになっても、支出拡大を拒否した。彼は財政面ではアイゼンハワーよりも保守的であった。
バートレットは、オバマが保守派であるさらなる証拠はクルーグマンの書いたものを参照されたい、としているが、そのクルーグマンは「And it is, of course, true」とバートレットの記事を肯っている。さらに後続の記事では、バートレット自身のことを、実質的に民主党穏健派に転身した、と評している*1。