ゲーム理論とコースの定理とミュンヘン宥和

池田信夫氏が、今回の尖閣諸島での漁船衝突事件で船長を釈放した判断はゲーム理論に鑑みて「合理的」だった、とagoraに書いている。ただし、そこで池田氏が断っているように、それはゲームが1回かぎりの場合のチキン・ゲームの利得マトリックスを考えた場合で、繰り返しゲームを考えた場合には話が違ってくる。


この池田氏の議論を読んで、ちょうど4年前に大竹文雄氏のエントリにコメントしたことを思い出したので、以下にそれをサルベージしてみる。

該当のエントリは週刊エコノミストの2006/9/26号を紹介したもので、同号に大竹氏は“「騒音おばさん」を止めるには 感情論より効率論 権利を整理し金銭交渉で”という記事を書いている。下記コメントはその記事内容を受けたものである*1

読ませていただきましたが、コースの定理を説明するのに、「騒音おばさん」を例に挙げるのは不適切なような気がします。あの人は感情に任せて被害者を攻撃するという犯罪に走ったわけで、もはや得失計算を超えたところにいたわけですから、自分の趣味嗜好とそれをあきらめる対価を冷静に比較較量できたとは到底思えませんし、そもそもその趣味嗜好が犯罪の領域に入っていたという根本的な問題があります。経済学が適用できない状況を見極めるのも、「経済学的思考のセンス」として重要ではないでしょうか・・・。


投稿: おせっかい | 2006年9月21日 (木) 23時17分

大竹先生、丁寧な回答ありがとうございます。


>合理的な判断ができないというのは、たとえば、どのような罰則をもってきても本人が判断を変えないという状況ではないでしょうか


報道を見る限り騒音おばさんはそういった人ではないかと思われます。つまり、被害者憎しの感情が、他の感情、理性、勘定その他を圧倒してしまっているように思われます。そうした人はコースの定理を適用する前提が満たされていないと言うべきでしょう*2


逆に、北朝鮮の場合は合理的判断ができると思われるので(あの国の指導者は残虐非道かもしれませんが、一方で勘定を感情に優先させる冷徹さを持ち合わせていると思います)、先生のおっしゃる通り経済学的アプローチが可能だと思います。クルーグマン
http://www.pkarchive.org/column/010303.html
ゲーム理論からそういったアプローチを試みています。もちろん、チャーチルがかつてスターリンのことを「邪悪必ずしも賢ならず、独裁者必ずしも正しからず」と茶化したように、あまり彼らの合理性を過信するわけにはいきませんが。また、ミュンヘン宥和の愚は避けるべきという点は注意する必要があります(このときヒトラーはズデーテンを手にし、英仏は戦争を避けられたので、見方によっては両者の効用は共に改善したが、残念ながら話はそこで終わらなかった)。


投稿: おせっかい | 2006年9月27日 (水) 02時30分


2番目のコメントの最後ではミュンヘン宥和について触れたが、この英仏がドイツを宥和することにより「両者の効用は共に改善した」状況は、まさに冒頭の池田信夫氏の今回の船長釈放はチキンゲームの利得マトリックスから言えば「合理的」だった、という判断に対応する。
また、そのコメントでは続けて「残念ながら話はそこで終わらなかった」とも書いたが、これはゲーム理論ではチキン・ゲームが1回かぎりの場合と繰り返しゲームを考えた場合には話が違ってくる、ということに対応する。


ちなみに、ぐぐってみると、今回の事件をミュンヘン宥和やその前のラインラント進駐に喩えた意見はネット上に溢れているので、両者を連想で結びつけたのは小生だけではなかったようである。



参考までに、以下の本のミュンヘン宥和ないしラインラント進駐に関する記述から、興味深いと思われたものを引用してみる。

外交〈上〉

外交〈上〉


ベルサイユ条約ロカルノ条約の二つの国際合意への違反に対するイーデンの反応は、まるで、商品の値切り合いのようであった。

右地帯は、主にフランスとベルギーに安全を与えるために設定されているものであり、この両政府がまずいかなる価値をこの地帯に見いだし、その維持のためどのような犠牲を払う覚悟があるのかを決めるのが先決である。…右地帯で我々が有する権利の条件つきの譲歩について、そうした譲歩にまだ価値があるうちに手遅れにならないようドイツ政府と交渉に入ることは、英仏にとり好ましいことである。

イーデンは実際、期待出来る最善の策は交渉を行うことであるとの立場をとった。その交渉のテーマは、連合国側が、この確立され承認されている権利を放棄する代償を何にするのか、時間をかせぐことであるのか、あるいは他の保証にするのかであった。そうした対応をすることによって、ラインラントにおいて自らの厳粛な約束のために戦うことはイギリスの戦略の一環ではないことを伝えたのであった。
イギリスの態度はヒトラーのラインラント進駐の後に、より明確になった。ドイツ進駐の翌日、イギリスの陸軍大臣はドイツ大使に対し次のように述べた。

イギリス国民はドイツがフランスを侵略する場合には、フランスのために戦う覚悟があるが、先日のラインラント占領を理由として武力に訴えることはない。…イギリス国民の大半はドイツがドイツ領を再占領することについては“全く”構わないとの立場をおそらくとるであろう。

イギリスの留保は、ただちに戦争にまでは至らない対抗措置に対しても向けられた。イギリス外務省はアメリカ代理大使に対し、「イギリスは、ドイツに対する武力および経済制裁の両方もしくは一方を課すことを避けるためにあらゆる努力を行う」と述べたのである。

今回の事態を当時の欧州情勢に喩えるならば、この時のイギリスの役割を演じているのは間違いなく米国であろう。日本でも報道されたNYTのニコラス・クリストフ氏の論説は、上記のイギリス陸軍大臣の発言を彷彿とさせる。
ただし、クリントン国務長官は前原外相との会談で「尖閣諸島日米安保の対象」と述べたと伝えられるので、米国政府はさすがにクリストフ氏よりはまだまともなスタンスを取っているようにも見える*3


ヒトラーが行動を起こした十日後の三月十七日の閣議議事録には、「我が国の態度は、恒久的解決を手に入れるために、ヒトラーの申し出を生かそうとする希望によって支配されてきた」と記録されている。内閣がこっそり言わなければならなかったことを、野党は全く気がねなく主張した。同じ三月中に、下院での国防問題に関する議論において労働党のアーサー・グリーンウッドは、次のように主張した。

ヒトラー氏は、犯罪の意図を示す発言をする一方で(平和の象徴たる)オリーブの枝を差し出す発言も行っており、これは額面どおりに受け取らねばならない。こうした発言はおそらくこれまでに示された最も重要なジェスチャーであることが判明するであろう。…こうした発言を不誠実なものというのは怠慢である。…問題は平和であり防衛なのではない。

言いかえれば、野党はベルサイユ体制の見直しとロカルノ条約の破棄を、明白に提唱していたのであった。彼らはイギリスが事態を静観し、ヒトラーの目的がはっきりするのを待つことを望んでいた。こうした政策は、その提唱者が、「万一そうした政策が失敗に終わった場合、必要とされる最終的なコストが年を経るごとに幾何級数的に増大していく」ということを理解している限りは、合理的なものであった。

この野党発言は、今回の鳩山由紀夫前首相の発言を連想させる。


ヒトラーにとり、ラインラント再占領は軍事的ならびに心理的中央ヨーロッパへの道をひらくものであった。民主主義諸国はそれを既成事実として認めてしまい、東ヨーロッパでヒトラーに抵抗する戦略的基盤は失われてしまった。

チェンバレンはこのように示された抜け穴に飛びつき、これを宥和の基礎とした。

ドイツの狙いが(たとえ、隣国を併合しようというものであれ)何であれ、中央ヨーロッパについてドイツと何らかの合意を結ぶことは望ましいことと思われる。これにより事実上、ドイツの計画実行を遅らせ、さらには、その計画が時間がたつにつれて実現不可能なものとなるくらい長い期間、第三帝国を抑制することが期待出来るかもしれない。

しかしながら、引き延ばし策がうまくいかなかった場合、イギリスはどのような手を打つというのであろうか。イギリスはすでにドイツが東側国境線の引き直しを許しているのなら、そのタイム・テーブルが妥当でないということだけで戦争に突入するというのであろうか。その答えは自明であった。すなわち、国家というものはすでに譲歩してしまった事柄が実行されるそのスピードをめぐって戦争に突入することはないということである。チェコスロバキアミュンヘンではなくその約一年前のロンドンで破局が運命づけられたのであった。

このドイツの東側国境線をイギリスがどこまで認めるか、という話は、今日、米国が中国の洋上覇権をどこまで認めるか、という話につながるかと思われる。

*1:この時は「おせっかい」というHNを使っている。なお、該当記事の詳しい内容はこちらのブログエントリを参照(ただし、このブログ主も小生と同様の違和感を感じていることには注意)。また、おそらく同じ内容がこんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書)に収録されている。

*2:なお、今回ぐぐってみて初めて知ったが、騒音おばさんは実はまともな人で、むしろ被害者だという話もあるらしい。ただ、この話が正しいとしても、むしろ相手方に合理性が欠けているということになり、やはりコースの定理の適用外になると思われる。

*3:このクリントン発言に対しては疑問も寄せられているが、ここで引用されている国務省ホワイトハウスのプレス会見を読むと、否定する根拠も乏しいように思われる。
[2010/9/28追記]「まとも」という表現に対しはてぶでokemos氏から物言いが付いたが、ここでは日米安保条約の抑止力を念頭に置いている。××のために安保条約が発動されることは無い、という発言をすることは、そのまま同条約の抑止力を減損することにつながる。もちろん、クリストフのようなジャーナリストがそう発言するのは自由だが、さすがに米政府がそのように発言して自ら抑止力を損なうことは無かった、というのがここでの含意のつもり(逆に実際にそのような言動を取って抑止に失敗したのが今回取り上げたラインラント進駐からミュンヘン宥和への流れであり、あるいは、米絡みで言えば朝鮮戦争湾岸戦争である)。