一般向けの経済学の本で有名なスティーブン・ランズバーグの自ブログでの発言が、Modeled BehaviorブログでAdam OzimekとKarl Smithの二人から槍玉に挙げられていた。
問題のランズバーグの発言は、アイオワ州での同性婚を非合法化しようとする動きに反対するスピーチを州議会で行ったZach Wahlsというアイオワ大学工学部の学生を批判したもの*1。
ランズバーグは、Wahlsのスピーチは、同性のカップルは両親としては平均に劣る、という一般的な見方に反論したものだ、と言う。そして、Wahlsはその反論に際し、単に同性の両親に育てられた自分を例に挙げただけで、それ以上の証拠を何ら提示していない、と批判している。
それに対しOzimekは、EconomistsのDemocracy in AmericaというサイトにWill Wilkinsonが書いたランズバーグへの反論にリンクし、そのランズバーグ批判に賛意を表している。
Wilkinsonのコラムの内容は概ね以下の通り。
- アイオワ州(あるいは他のどこでも)の同性婚反対論は、「同性のカップルは両親としては平均に劣る」という実証的な予測に基づいているわけではない。Wahlsの反論は、同性愛を悪と見做す人たちに向けられたものである。従って、成績優秀でボーイスカウトの最高位の章(イーグルスカウト)を受賞し、健全な家庭生活を送っている毅然としたWahlsの存在は、それ自体がそうした(同性愛を悪と見做す)考え方に疑念を投げ掛けるものとなっている。
- 「同性のカップルは両親としては平均に劣る」というならば、貧困家庭のカップルにもその論理は当てはまってしまう。もし貧困者の結婚を非合法化するような法案が通り、それによる差別に苦しむ家庭があるならば、まさにWahlsが展開したようなスピーチによってその不公正さが浮き彫りになるだろう。その時のそうしたスピーチは詭弁とは呼べないだろう。
- ランズバーグのような経済学者は、手段の合理性(instrumental rationality)を専門として研究している。しかし、認識に関する合理性(epistemic rationality)は、しばしば手段の合理性とは両立しない。誤った議論が、崇高な目的を達成する最良の手段である場合もあるのだ*2。ランズバーグは、Wahlsが手段の合理性を優先して人々の心に訴える修辞を犠牲にすることを求めているように見える。
- ランズバーグには、多くの右派的な経済学者と同様、物事をその文脈から切り離して常識に反する(contrarian)挑発的な議論を展開し、これこそが勇気ある合理的行動なのだ、と思い込むという嘆かわしい傾向がある。残念ながら、その思い込みは正しくない。
一方のKarl Smithは、Wahlsをブラックスワンに喩えている。そして、ランズバーグの言うように「同性のカップルは両親としては平均に劣る」と信じる人々がいるのだとしても、同性のカップルを両親に持つ優秀な人間が一人現われれば、そうした人々が同性のカップルの両親としての能力に対して想定している事前分布を変えることになる、と指摘している。