17日エントリで、Roweの最近のWCIブログエントリは中銀のコミットメントの問題を扱っている、と書いた。そこでの彼の結論は、上記の本エントリのタイトルに集約されるのだが、同ブログの11/15エントリで彼は、実際に簡単なモデルを構築してその問題を論じている。以下では彼のモデルとそれに基づく彼の主張を紹介してみる。
彼のモデルは、(彼の言葉を借りれば)ごく普通のニューケインジアン的/ネオヴィクセル的なもので、下記のフィリップス曲線とIS曲線を想定している。
- フィリップス曲線
- πt=0.25(yt-y*) + 0.5πt-1 + 0.5E(πt)
πはインフレ率、yは実質GDP、y*は潜在GDP、E(π)は予想インフレ率。
ここではバックワードルッキングな要素とフォワードルッキングな要素の割合を半々にしている。実証的にはバックワードルッキングな要素はインフレの慣性を表すために必要とされるが、ここでは金融政策が道を間違えた時に生じるデフレスパイラルの速度を鈍らせるために入れている。
- IS曲線
- yt-y*=nt-rt
rは実質金利、nは自然利子率である。ここでは自然利子率も時間変動するものとする。
IS曲線をフィリップス曲線に代入すると、以下のIS-PC方程式が得られる*1。
π = 0.25(n-r) + 0.5πt-1 + 0.5E(π)
金融部門
次いで彼は、金融部門を二つの金融資産によって定義している。一つは名目債券であり、もう一つは実質債券である。企業ないし家計は、両者を発行して支出を賄う。
名目債券は次期に1ドルを支払うものである。Bをその名目価格とすると、名目金利iは
B=1/(1+i)
によって定義される。
実質債券は次期に実質GDPの1ドル分(もしくはそれと等価な貨幣)を支払うものである。Rを実質債券の名目価格、Pを現在価格とすると、(事前の)実質金利rは
R=P(1+E(π)) / (1+r)
によって定義される。ここで彼は、実質債券として株価指数連動投信のようなものを想定している。
人々はリスク中立的なので、以下のインフレ調整済みリターンの均衡式が成立する。
(1+i)=(1+r)(1+E(π))
これは近似的にはi=r+E(π)と表される。
金融政策
中央銀行は、ゼロインフレと価格一定(P=1ドル)という状況を、望ましい経済状態と見なしているものとする(インフレ目標政策と物価水準目標政策には重要な違いがあるが、そのことは今回の議論に影響しない)。
また、このモデルでは自然利子率が時間変動することを仮定しているが、それが唯一の外生要因となる。中銀はそれをリアルタイムに把握できるものとする。
すると、均衡は以下のようになる。
- P=1 (もしくは、 π=0 かつ E(π)=0)
- B=1/(1+n) (もしくは、 i=n)
- R=1/(1+n) (もしくは、 r=n)
この時、外部の観察者は、この経済社会において次の3つのうちいずれが中銀の政策目標の枠組みとして人々に認識されているか判別することができない。
- インフレ率
- 名目債券価格
- 実質債券価格
というのは、たとえ外部の観察者がこの経済の構造と自然利子率を把握していたとしても、観察される事象に関してこの3つの政策目標は等価な結果をもたらすからである。また、仮にこの組み合わせ(インフレ目標を達成するために名目金利を目標とする、など)が政策目標として認識されていたとしても、やはり識別できない。
この外部の観察者が、どうしても人々の認識の枠組みを知りたいと思う社会学者で、その目的のために経済の均衡を破ってしまうものとしよう。たとえば、自然利子率に1%の一時的な落ち込みがあったが、この社会学者が中銀のコンピュータシステムをハックしデータを改竄して、その情報を隠蔽してしまったものとする。そうすると、彼/彼女の思惑通り、人々の認識の枠組みの違いによって異なる結果が得られる。
●人々がインフレ目標を中銀の政策目標として認識していた場合
- E(π)はゼロに留まる(中銀がこの目標達成に失敗したとしても、人々は一時的なものと受け止める)。
- 期間1で、自然利子率が下落するが、中銀はそれを認識せず、名目債券の価格は変化しない。実質金利も名目金利も変化せず、自然利子率より高い水準に留まる。このためGDPは潜在GDP以下に低下し、実際のインフレ率もマイナスとなる。
- 期間2で、中銀は社会学者のデータ捏造に気付き、インフレ率を目標に戻すためにあらゆる策を講じる。フィリップス曲線にはインフレ率のラグが入っているので、中銀は一時的な好景気(y>y*の状況)を創り出すことを余儀なくされる。これは、名目金利iを自然利子率nより低い水準に据え置くことを意味する。
- 期間3で、すべてが正常に戻る。
●人々が名目債券価格を中銀の政策目標として認識していた場合
- 期間2で、中銀が名目金利を自然利子率に合わせると人々が考えたものとする。すると、IS-PC式でi=nと置き、合理的期待形成を仮定することで、以下の式を得る。
π = 0.25(n-i+E(π)) + 0.5πt-1 + 0.5E(π) = 0.5πt-1 + 0.75E(π) = 2πt-1 *2
- つまり、人々が中銀はインフレ率ではなく名目金利を政策目標にしていると考えた場合、デフレ率が毎期倍になるデフレスパイラルを予想することになる。この時、実質金利も上昇し続けて自然利子率との差が大きくなっていくと同時に、GDPも下落し、GDPギャップも毎期倍になる。
- 中銀もこの危険を承知しており、i=n+π*という形の名目金利の設定の仕方は採らない(π*は目標インフレ率)。一つには、そもそもこの形はテイラー原理(=中央銀行はインフレ率の上昇以上に金利を上げなくてはならない)を満たしていないからである。
中銀はその代わり、予想インフレ率と目標インフレ率の乖離を織り込んだ
i = n + E(π) + a(E(π)-π*)
という形で名目金利を設定する(aは何らかの正の値)。
- ただし、中銀が予想インフレ率を把握できず、過去のインフレ率のみ把握できる場合、上式の名目金利の設定は(目標インフレ率をゼロとして)
i = n + 2(1+a)πt-1
という形になる。
●人々が実質債券価格を中銀の政策目標として認識していた場合
- 期間1は上の2つのケースと同じ。
- 期間2以降は、中銀は実質債券の名目価格をR=1/(1+n)に固定しようとする。それにより、デフレスパイラルは回避できる。
- デフレスパイラルでは、R=P(1+E(π))/(1+r)において、PもE(π)も止め処なく低下するので、実質金利rが一定ならば、Rも止め処なく低下する。しかし、もし中銀がRを一定に保つとされているならば、逆に実質金利rが止め処なく低下し、それに応じて実質生産も際限なく上昇する。それによりインフレ圧力も際限なく高まる。
- この場合にデフレスパイラルに陥らないことは以下のようにして分かる。
(事前の)実質金利の式にR=1/(1+n)を代入すると、
(1+r)=(1+n)P(1+E(π))
が得られる。デフレではP<1、E(π)<0なので、r<nとなる。
仮にE(π)=πt-1とおくと*3、IS-PC式より
π = 0.25(n-r) + πt-1
となる。第1項はプラスなので、デフレスパイラルへのブレーキとなる。このブレーキはデフレを減速させ、やがて正のインフレに転化させて、最終的には価格水準を元に戻す。
以上から、名目債券よりも実質債券の価格を政策目標にした方が、デフレスパイラル防止のためには望ましいことが分かる。
仮に中銀が自然利子率を恒久的に知ることができず、Rを低く設定しすぎたとしても、価格水準の低下とデフレ予想の高まりによっていずれは実質金利が自然利子率以下まで低下し、デフレスパイラルを阻止する。
また、仮に名目金利目標の枠組み下でデフレスパイラルが始まってしまった後でも、実質債券価格目標に切り替えれば、デフレスパイラルを阻止できる。というのは、十分に高い実質債券価格を目標に設定すれば、将来の物価水準を約束することになり、それによって現在の予想インフレ率をプラスにできるからである。名目金利目標ではそれは不可能である。
なお、その際に重要なのは、中銀の実際の動きではなく、それが社会においてどういう枠組みのものとして捉えられるか、という部分で話が違ってくる点である。
ちなみにRoweは、自分のこのモデルでy*をE(yt+1)に置き換え、実質債券を名目GDP先物に置き換えれば、サムナーの主張に近くなる、と述べている。
*1:以降では今期を表す添字のtは省略する(Roweは最初から省略している)。
*2:π = 0.5πt-1 + 0.75E(π)で合理的期待形成によりπ=E(π)と置くと、π=E(π)=2πt-1となる。
*3:追記:Roweは計算を省いてこのようなアドホックな仮定下でπが発散しないことを示しているが、真面目に計算すると次のようになる。
π=0.25(n-r) + 0.5πt-1 + 0.5E(π)
=0.25(1+n){1-P(1+E(π) )} + 0.5πt-1 + 0.5E(π)
=0.25(1+n)(1-P) + {0.5-0.25P(1+n)}E(π) + 0.5πt-1
ここで合理的期待形成を当てはめてE(π)=πとおくと、
π={0.25(1+n)(1-P)+0.5πt-1} / {0.5+0.25P(1+n)}
P>0かつn>-1なので、πt-1の係数は必ず1より小さくなる。