準備預金へのマイナス金利は効果があるか?

スウェーデン中央銀行(リクスバンク)が預金にマイナス金利を適用したことが一部で話題になっている。


日本での反応をぐぐってみると、日経ヴェリタスが報じたのを受けて、ここここで取り上げられている。ただ、いずれもあまり評価はしていないようである。

一方、米国では、Credit Writedownsでエドワード・ハリソン(Edward Harrison)が取り上げている(Naked CapitalismSeeking Alphaにも転載されている)が、ここでもやはりそれほど芳しい評価ではない。問題は銀行の資本不足だ、というのがハリソンの主張だからである。また、MISH'S Global Economic Trend Analysisというブログでは、愚の骨頂(height of stupidity)と評し、バーナンキが同じようなことを始める前にスウェーデンのその政策がとっとと破綻してくれると良い、とまで書いている。


それに対し、予想通りというべきか、スコット・サムナーは小躍りして喜んでいる。そのニュースと絡めて、自分の名前がThe New RepublicクルーグマンやマンキューやBuiterと並んで取り上げられたことも、喜びを倍加させたようである


しかし、Economic Perspectives from Kansas Cityというブログで、スコット・フルワイラー(Scott Fullwiler)ワートバーグ大学准教授が、サムナーに冷や水を浴びせるようなエントリを書いた。それに対しサムナーが反論し――ただしフルワイラーのブログのコメント欄に上手く書き込めなかったので、人を介して反論となったが――、それにまたフルワイラーが反論している


フルワイラーの準備預金へのマイナス金利政策への批判の要点は、以下のようになる。

  • 教科書的な貨幣乗数の概念*1は、金本位制時代の話であり、実は現代の金融制度には当てはまらない。たとえば準備預金で許容される以上に貸し出しを行なった場合でも、自動的に中央銀行から準備預金に当座借越がペナルティ金利付きで供与される。銀行は他の銀行からの借り入れや、FRBへのオーバーナイト借り入れ担保の差し出しによって、それを清算すれば良い。つまり、現代の所要準備制度というのは、貸し出しにコストを課すが、もはや制約を課すものではない。従って、銀行の貸出能力は、もはや準備預金の残高とは関係なくなっている。
  • マイナス金利で準備預金の量を調整し、それによって貸出量が調整できるという考えは、その貨幣乗数の古い概念に囚われている。
  • 準備預金の総量は、銀行ではなく、中央銀行が決める。ある銀行が超過準備を解消しようとして別の銀行への貸出に回したとしても、その総量には変化は無い。それが減少するのは、中央銀行が吸収したときのみである。(あるいは国債オークションで財務省の口座に移転した時。)
  • 超過準備へのマイナス金利は、結局、銀行の収入を課税により減らすのと同等である。その課税分はFRBの利益を増やし、国庫を(僅かばかりとは言え)潤す。それは、財政引き締め策にほかならない。同時に、銀行の自己資本を(僅かばかりとは言え)減らす。それは、金融危機の中でやるべきことに逆行する。
  • そもそも今は、貸出量が金利の低下に反応しなくなりつつある。一方、金利収入の低下の弊害も出てきている。支出の低下が問題ならば、給与税の一時的休止(payroll tax holiday)といった直接的な方法の方が良いのではないか?


さらに彼は、次のように書いている。

All the evidence from volumes of empirical research on bank reserve behavior is very clear—banks don't make an "asset allocation" decision between ERs at below market rates (lots of experience in the real world with these, as it's been the normal state of affairs) and lending to willing, creditworthy borrowers. The two are unrelated as explained above (or at least mostly explained . . . one could be a great deal more technical about payment settlement-related motives for holding ERs and how this is also unrelated to lending), though the excess reserve tax tries to make them related by forcing banks in the aggregate to hold undesired balances, imposing a tax if they don't create loans/deposits, and then paying them to make more loans/deposits.


(拙訳)銀行の準備預金に関する行動の膨大な実証研究のすべての結果は極めて明白だ。銀行は、市場金利以下の超過準備(通常は市場金利以下なので、事例は豊富にある)と、需要がありかつ信用に足る借り手に対する貸し出しとの間で、「アセット・アロケーション」の決定を行なうことはない。これまで説明してきたように、その2つには関連は無い(技術的にはもっと説明の余地はあるかもしれない。超過準備を決済のために保有することが、やはり貸し出しには関係ない、というような)。しかし、超過準備への課税はそれを無理に関連付けようとしている。銀行全体として望まないだけの残高を持たせ、貸し出し/新規預金を創造しなければそれに課税し、そしてさらに貸し出し/新規預金を創造させようと準備を供給する。

この部分の記述は、量的緩和ポートフォリオ・リバランス効果が乏しかった、という日本の経験の分析も念頭にあるのかもしれない。


そして、超過準備が減らせず、かつそれにマイナス金利が掛かるとしたら、銀行はそれを所要準備に転化させるために、準備預金対象外のセイビングやマネーマーケットアカウントやCDを、預金にシフトさせるよう客に強いるかもしれない、という観測も述べている。フルワイラーに言わせれば、それは、(ゲゼル紙幣のように)現金に課税したとしても、人々が現金以外の流動性の高い手段にシフトしていくであろうことと同様だ、とのことである。


サムナーがあくまでもリフ原理主義的な立場に立つのに対し、フルワイラーはより金融実務の立場に即した観点からそれを批判している。その点で、二人のやり取りは、日本でのリフレ派対日銀擁護派の論争を想起させなくもない。

*1:cf.ここ