商業銀行貨幣の超過供給は存在し得るのか?

昨日29日に紹介したRowe=Glasner論争を受けたRoweの3/30エントリを紹介したが、今日は同論争を受けたGlasnerの表題の3/31エントリ(原題は「Can There Really Be an Excess Supply of Commercial Bank Money? 」)を紹介してみる。ただし、このエントリにおいてGlasnerはRoweの3/30エントリに反応したわけではなく*1、その前の3/28エントリ*2に反応している。
エントリの冒頭でGlasnerは、自分とRoweの論点について以下のように整理している。

Nick mistakenly believes that I have argued that there cannot be an excess supply of commercial bank money. In fact, I agree with him that there can be an excess supply of commercial bank money, and, for that matter, that there can be an excess demand for commercial bank money. Our disagreement concerns a slightly different, but nonetheless important, question: is there a market mechanism whereby an excess supply of commercial bank money can be withdrawn from circulation, or is the money destined to remain forever in circulation, because, commercial bank money, once created, must ultimately be held, however unwillingly, by someone? That’s the issue. I claim that there is a market mechanism that tends to equilibrate the quantity of bank money created with the amount demanded, so that if too much bank money is created, the excess will tend to be withdrawn from circulation without generating an increase in total expenditure. Nick denies that there is any such mechanism.
(拙訳)
ニックは、商業銀行貨幣の超過供給が存在し得ないと私が主張しているものと誤って考えている。実際には、商業銀行貨幣の超過供給が存在し得るという彼の見解に私は同意しており、その点について言えば、商業銀行貨幣の超過需要が存在し得るという見解にも同意している。我々の意見の不一致は、その件とは少し違うがやはり重要な件に関するものである。即ち、商業銀行貨幣の超過供給が流通から引き揚げられる市場メカニズムは存在するのか、それとも、商業銀行貨幣は一旦創造されたら結局は誰かがどんなに不本意だろうと保有しなくてはならないので、永久に流通し続けるのか、という件である。それが論点なのだ。私は創造される銀行貨幣の量を需要量と均衡させるような市場メカニズムが存在する、と主張する。従って、銀行貨幣があまりにも多く創られたならば、過剰分は総支出の増加をもたらすことなく流通から引き揚げられることになる。ニックはそうしたメカニズムの存在を否定している。


この後GlasnerはRoweの主張への疑問点を縷々書き連ね、コメント欄でRoweがそれに反応している。そのRoweとGlasnerのコメント欄でのやり取りによって両者の意見の違いがある程度浮き彫りになったと思われるので、以下にそのやり取りの概要を3つの論点に分けてまとめてみる(なお、論点の整理の都合上、やり取りの順番は一部入れ替えている)。

●預金金利引き上げと預金拡大の同時発生という想定の妥当性

Glasner
Roweのエントリでは、(Roweがアルファ貨幣と呼ぶ)中央銀行貨幣と(Roweがベータ貨幣と呼ぶ)商業銀行貨幣が不完全な代替になっている場合に焦点を当てている。その時、商業銀行貨幣の魅力度を高めるため預金金利を引き上げて還流の法則が働くのを防ぐ、というケースが想定されているが、そもそも商業銀行は利益最大化の行動原理に基づいて行動しているはず。
Rowe
金融仲介費用の低下などによって利益最大化ポイントが移った場合を想定している。ベースマネーが一定に保たれるという条件下で、銀行が預金量を増やすと同時に預金金利を引き上げるため、預金とアルファ貨幣が固定交換レートで取引される市場において、預金の超過需要も超過供給も発生しない場合を想定している。その場合でも、預金と財の取引市場では預金の超過供給が生じている(アルファ貨幣と財の取引市場でもアルファ貨幣の超過供給が生じている)。
Glasner
預金金利引き上げと預金拡大が同時に起こる理屈が分からない。銀行間で競争原理が働くということで金融仲介費用の低下を預金金利の引き上げという形で利用者に還元し、貸出金利の引き下げという形では還元しないのであれば、利用者は手持ちの現金を預金に変えるだけではないか。その場合、銀行はその現金を準備預金に預け入れ、準備預金が増加し、銀行間金利が低下する。そこから先にどのような効果が生じるかは自分には明らかではない*3
Rowe
貨幣は冷蔵庫とは異なる。冷蔵庫の生産者は、人々が冷蔵庫をもっと保有するようになる前に、彼らが冷蔵庫をもっと保有したいと思わせる必要がある。商業銀行は、人々が預金をもっと保有したいと思わなくても、貸し出しを預金という形で受け入れさせることができる。借り手は別に預金をもっと持とうとは思っていなかったので、受けた貸し出しをほぼ即座に支出する。これによってホットポテト効果が開始する。
極端な例を挙げれば、各家庭が価格条件等に関係なく冷蔵庫を1台しか保有したくないと考え、そうした均衡が実現しているところへ冷蔵庫をヘリコプターで撒いても、新しい冷蔵庫は地面に放置されたままで、誰も拾おうとはしない。一方、各家庭が物価水準や所得や金利等に関係なく貨幣を100ドルしか保有したくないと考え、そうした均衡が実現しているところへ貨幣をヘリコプターで撒けば、各人は新しい貨幣を地面に放置されたままにはしない。それを拾い上げ、財を買うという形で手放そうとする。財を売る側も、それを手放すことができると知っているので、新しい貨幣を受領する。各人は追加された貨幣を手放すことができるが、全体として手放すことはできない。そのため、ホットポテト効果は終わることが無い。
Glasner
金や冷蔵庫と違って預金は永続する必然性は無く、ホットポテト効果は一時的なものに留まる。ヘリコプターの例が、永続する必然性の無い銀行貨幣とどう関係するか良く分からない。また、金融仲介費用の低下を預金金利の引き上げという形で還元する、という話をしていたのに、貸し出しの話が入ってくるのはおかしい。

●通貨の超過供給と預金の超過供給の等価性

Glasner
Roweは、通貨の超過供給は必然的に預金の超過供給につながる、と書いているが、そのような定理は導出できないのではないか。
Rowe
限界的な通貨保有と預金保有について人々が無差別であり、預金が通貨に交換可能であるならば、人々が他の財を通貨より選好することが同財を預金より選好することにつながるのは、直接的に導出される「定理」である。
Glasner
その場合、他のコメンターが指摘するように、通貨と預金の完全な代替性を仮定しているのではないか?
Rowe
通貨保有と預金保有について人々が「限界的に」無差別であることは、完全な代替性を意味しない。完全均衡において自分は、自動車の保有と家の保有について「限界的に」無差別である。ただし、自動車と家については相対価格が保有の限界効用を調整するが、同一価格である預金と通貨については銀行は預金金利を調整することができ、還流を防ぐため実際にそうした調整を行う。
Glasner
そうした主張は預金の還流が起きないことを意味せず、余剰通貨が一旦預金に変換されてから還流することを意味する。還流によって余剰通貨がすべて取り除かれず、一部は支出されると言うためには、価格効果や所得効果をもたらす別の理論的枠組み(例:税負担[Earl Thompson]、摩擦、期待[フィッシャー・ブラック]、裏付けとなる資産の価値、等々)が必要。

●貨幣の超過供給と内部貨幣

Glasner
財と貨幣のn個の交換市場で通算しても貨幣の超過需要がゼロにならないというならば、民間負債と貨幣というn+1個目の市場で調整すれば良い。貨幣への超過需要があれば、貨幣と交換に銀行に資産(借用書)を渡せば良いし、貨幣の超過供給があれば、貨幣の裏付けがあるサービスを提供する資産と交換に銀行に余分な貨幣を渡せば良い。
Rowe
それは中央銀行貨幣についても同様に成り立つ話。その話が述べているのは、借用証書が取引される市場は常に清算される、ということに過ぎない。価格が完全に伸縮的な市場、あるいは、銀行ないし中銀が公定価格で貨幣を売買する市場では、財に対する貨幣の超過需要や超過供給は発生し得ない。

*1:それについてエントリ中で「I reserve the right (but don’t promise) to respond to that post at a later date; I have my hands full with this post.」と言及している。

*2:本ブログの29日エントリでは最後に簡単な紹介とともにリンクした。

*3:当初Glasnerは、増加した準備預金によって銀行が国債を購入し、それによってベースマネーが減少するため、ベースマネーを一定に保つために中銀が公開市場操作を行わねばならない、という展開まで書いていたが、銀行が国債を購入するとは限らず、増えた準備預金をそのままにしておくこともあり得るのではないか、と他の(=Rowe以外の)コメンターに指摘され、その部分は後で撤回している。