少し前に紹介したクルーグマンvsポストケインジアンの銀行論争に、David Glasnerも介入した。
彼はそこで、準備預金が貨幣供給量を決定するという考え方を否定し、貨幣供給量は需要によって決定される、というポストケインジアン側の見解を完全に支持している*1。
ただ同時に、中央銀行が貨幣供給量をコントロールできないわけではない、とも述べ、ポストケインジアン側にも釘を差している*2。そこで彼が喩えとして持ち出したのは、貿易における輸入割り当てと関税の関係である。輸入価格を上げて輸入量を減らすという点では、当局者が需給曲線を完全に知悉しているならば、輸入割り当てと関税は等価な政策となる。しかし、需給曲線に関する知識が不十分で、かつ、輸入価格の変動が輸入量の変動よりも悪影響が大きい場合には、輸入割り当てよりも関税の方が望ましい政策となる。そして、実際に関税が導入された場合、貿易業者が何ら制約無しに好きなだけの量を取引できるとしても、その取引価格を通じて政府は需給量をコントロールできる。同様に、中央銀行がベースマネーの供給については受動的に対応するだけだとしても、金利という価格面から貨幣供給をコントロールすることはできるのだ、と彼は強調している。