ファウンデーション対帝国

以前、ミクロ的基礎付けを持つモデルは予測の役に立たず、予測の役に立つためにはミクロ的基礎付けを事実上放棄しなくてはならない、という経済モデル構築におけるジレンマを紹介したことがあった。


そうしたジレンマを回避するために、イングランド銀行ベッカム(BEQM=Bank’s Quarterly Model)モデルにおいて採用した方法を、サイモン・レン−ルイスが説明している。それによると、ミクロ的基礎付けがなされた中心モデルと、データの特性を加味して現実にフィットさせた周縁モデルから成る、中心−周縁型のモデルを採用したのだと言う。
ここで重要なのは、周縁モデルには中心モデルの結果を反映させるが、その逆は行わない、ということである。というのは、そういったフィードバックを掛けると、(上記のジレンマに記述されているように)中心モデルの整合性が破壊されてしまうから、とのことである。


これに対しては、同エントリのコメント欄でロバート・ワルドマンから、自ブログエントリでノアピニオン氏から物言いが付いた。
ワルドマンの批判は、(ミクロ的基礎付けが嫌いな彼らしく)中心モデルのそもそもの必要性に向けられている。
同様にノアピニオン氏も、予測のためには中心モデルは不要だろう、という指摘を行っているが、ワルドマンと違うのは、政策分析に当たってはむしろ周縁モデルが不要、という指摘を併せて行っている点である。


このノアピニオン氏の指摘に対しサイモン・レン−ルイスが新たなエントリを立てて反論している。レン−ルイスに言わせれば、ノアピニオン氏の考えは良くある誤解に基づくものだという。具体的には、ミクロ的基礎付けを持つ構造モデルの構築は、ルーカス批判への対応だと思われているが、そうではなく、あくまでも内的整合性の確保のためだとのことである。確かにルーカス批判への対応と内的整合性の確保は軌を一にすることが多いが、そうではないケースも間々ある、と彼は言う(例としてウッドフォードの社会厚生関数を挙げている)。
では、なぜ内的整合性を気にするのか? それは、現実世界の主体は内的整合性を持つと考えられるからである。そのため、内的整合性を持たないモデルは間違いを犯す可能性を持つことになる。
とは言え、内的整合性だけを気にすると、現実世界の重要な特徴を無視することになりかねない。そうした外的整合性を確保するために、アドホックモデルが必要になる、とレンールイスは説明する。
またレン−ルイスは、内的整合性を持つモデルは政策分析だけでなく予測にも役立つ半面、アドホックモデルの追加で現実をより良く捉えれば政策分析も改善する、と指摘し、ノアピニオン氏の二分法を否定している。