米国の謎の匿名ブロガーknzn氏(以前ここで取り上げたこともある)が、12/2エントリで以下のようなことを書いていた。
僕の空想
直近の二つのエントリ(こことここ)の後書きとして、可能性について思いを巡らせてみたい。
財務省が長期債をすべて償還し、FRBが利率をゼロに抑えるのに十分なだけ短期債を買い入れたとしよう。そして、それでもインフレが起きなかったとしよう。制度的な理由からこれがありそうにないことは分かっているし、経済的な理由からもありそうにない。しかし、想像の埒外、というわけでもない。実際、制度的な理由を措いておくと、今日それが経済的に成立する可能性は25%あるのではないかと思う。というのは、財政刺激が十分でないからだ(いつだって十分ではないのだが)。同意する人はあまりいないかもしれないが、まあ、これは単なる空想だし、この空想が経済的な意味で想像の埒外では決してないと言ってくれる一流の経済学者がそれなりにいることには自信がある。
で、これが僕の空想だ。
2010年度の連邦予算 国防・安全保障 $730,213,476,219.56 国内裁量的支出 $773,154,217,326.40 社会保障 $653,207,125,217.23 メディケア $417,316,224,327.01 その他の社会保障 $615,222,143,177.03 国債への利払い $0.00 まあ、これは単なる空想だ。しかし同じ想像でも、アンジェリーナ・ジョリーとデートするよりも可能性があると思う。その点では、イソベル・レンとデートするよりも。
ここでknzn氏は、「バーナンキの背理法」と同じ思考過程を経ながら、(バーナンキの背理法では否定された)極端な状態が実現できるかも、という結論に達している。
コメント欄では、knzn氏の見方に反対する人(SlimCarlos氏)とknzn氏との議論があったが、どちらからもバーナンキの背理法のバも出てこなかったので、小生は試しに以下のようなコメントを入れてみた。
Sorry to interrupt the debate, but couldn't help pointing out what Bernanke once said.
"The general argument that the monetary authorities can increase aggregate demand and prices, even if the nominal interest rate is zero, is as follows: Money, unlike other forms of government debt, pays zero interest and has infinite maturity. The monetary authorities can issue as much money as they like. Hence, if the price level were truly independent of money issuance, then the monetary authorities could use the money they create to acquire indefinite quantities of goods and assets. This is manifestly impossible in equilibrium. Therefore money issuance must ultimately raise the price level, even if nominal interest rates are bounded at zero. This is an elementary argument, but, as we will see, it is quite corrosive of claims of monetary impotence."
(http://www.princeton.edu/svensson/und/522/Readings/Bernanke.pdf)
This logic is kind of famous in Japan, known as "Bernanke's reductio ad absurdum."
Fri Dec 05, 08:02:00 AM EST
ただ、これに対する反応はどちらからも無く、両者の議論も再開されることは無かった。(…ちょっとKYなコメントだったのかな!?)
米国でバーナンキの背理法が日本並みに市民権を得るのはまだ先のことになりそうだ、と感じた一幕であった。