コーエンのアセモグルへのインタビュー

ダロン・アセモグルがタイラー・コーエンのConversations with Tyler*1登場している(H/T コーエンMRエントリ)。そこでは、以下のアセモグルとジェームズ・ロビンソンの直近の共著書が話の軸になっている。

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty

以下は前半部の概要。

  • 一人当たり所得を説明するのに地理的要因は良い枠組みではない*2。赤道からの距離との間に相関があるように見えるが、それは偶然で、現在の赤道近くの低所得国は欧州によって特定のやり方で植民地化された場所。あるいは欧州が最初に発展し、他の世界を植民地化した際に地理的要因が影響したかもしれないが、それは確かではない。
  • 現在、約120ヶ国の制度が植民地時代の経験に大きく影響された形で形成されており、その経験は国ごとにかなり違う。米国や豪州は、欧州の本国よりもむしろ良い制度を確立したが、それは植民者が良い制度を推進し、そのために戦ったからである。しかし、熱帯地域の大半では、欧州からの植民者は、以下の2つの相互に関連する理由によって、それとは全く異なる植民地政策を採った。
    1. 熱帯地域では、インカ帝国アステカ帝国ムガール帝国など、より文明が発達しており、人口も多かった。そのため、労働を管理し利用するという、アセモグル=ロビンソンが収奪的制度(extractive institutions)と呼ぶものを打ち立てた。
    2. 気候の条件や人口密度の高さのため、欧州人はあまり馴染みのない数多くの病気に直面し、死亡率も段違いに高くなった。そのため、米加豪のようにより良い制度を打ち立てようとするのは不可能だった。
  • (紀元前1500年と今日の一人当たり所得には強い相関があり、植民者の動きを考慮すれば特にそうである、というコミン=イースタリー=ゴング(Comin=Easterly=Gong)の有名な研究*3についてコーエンに訊かれて)話はもっと複雑。アセモグル=ロビンソン=サイモン・ジョンソンの論文「Reversal of Fortune」*4はまさにその点を扱っていた。事実として、1500年当時に繁栄していた地域は、現在は相対的に繁栄していない。もちろん、世界のすべての地域が工業化や技術の発展や貿易などによって良くなった以上、それらの地域も当時よりは裕福になってはいる。しかし、そうしたボリビア、ペルー、エクアドル、メキシコ、インド、パキスタンといった地域よりは、1500年当時は都市も道路網も余剰農産物も何も無かったチリ、アルゼンチン、米国、カナダといった地域の方が、現在は相対的に繁栄している。その説明としては、制度と文化の2つの大分類の要因が考えられる。人的資本については、教育という制度的要因のほか、文化的要因もあるため、その中間に位置付けられる。我々の行った数多くの定性的・定量的研究は、制度的要因をより支持している。例えば、人的資本の質は、欧州が米国、アルゼンチン、チリに連れてきたものよりは、インカ帝国アステカ帝国に連れてきたものの方が高かった。
  • (独立宣言に見られるように、欧州人が持ち込んだ思想が重要だったのでは、というコーエンのコメントに対し)欧州の思想が直接的に作用したというよりは、欧州の思想が現地の条件と相互作用したことが重要。植民会社はジェームズタウンもバルバドスやジャマイカと同様の形で支配したかったが、ジェームズタウンはイギリス本国のやり方に反抗するだけの政治的な力を付けていた。
  • ソ連は70年間ひどい制度だったが、現在のロシアの一人当たり所得は予想を上回っている。それは人的資本のお蔭ではないか、というコーエンの質問に対し)ロシアの一人当たり所得がもっているのは天然資源のお蔭もあるだろう。また、ソ連時代も、教育制度は特に数学や物理で優れていた。例えば、ソ連崩壊後にロシアから渡米した数学者は米国の数学者の職を奪ったが、それは彼らが実際に優秀だったからである。ロシアになってもその教育制度は維持されており、それが無くなればすべてが無に帰するだろう。実際、幾つかの共和国ではそうなった。
  • (ソローモデルに導入した人的資本の説明力の強さを示したマンキュー=ワイル=ローマー(Mankiw=Weil=Romer)論文*5についてコーエンに訊かれて)当時としては非常に重要な論文だったが、問題も多い。最も重要な問題は、除外変数バイアスを扱えない国同士の違いの回帰の枠組みであること。また、同研究が含意する人的資本の収益率は、ミンサー回帰のおよそ4-5倍になっている*6。ミンサー回帰によれば、学校教育が1年長ければ、米国では6%、発展途上国では8-9%程度収入が増加する。即ち、学校教育を3-4年*7伸ばせば一人当たりGDPが25-30%増えることになる。これは実際のGDPの格差に比べかなり小さな数字である。それに対し、マンキュー=ワイル=ローマーでは、3-4年の教育で一人当たりGDPが3-4倍になる。ただし、Pete KlenowやAndres Rodriguez-Clareなどの後続の研究を見ると、一様にもっと小さな数字が出ている。そこで問題になるのが、人的資本の外部性である。ミンサー回帰に見られる教育の自身の収入への効果に比べ、社会への効果はかなり大きいのではないだろうか? それは人的資本の外部性の話になるが、以下の2つの形態が考えられる。
    1. 局所的な外部性:自分が教育を受けることにより周囲の人々を富ます。
    2. 研究開発の外部性:自分が教育を受けることにより何かを発明し、それによって世界中の人々の生産性が上がる。
  • 局所的な外部性について、アセモグル自身もJoshua Angristとの共同研究などで調べたが、支持する実証結果を得ることはできなかった。それはある意味当然で、例えばマクドナルドの労働者の教育が2年伸びたからといって収益を3-4倍にする転換的な効果が得られるとは考えにくい。(アセモグルのトルコの大学からMITへの移籍のように、トップクラスの人の環境の変化による外部性はかなり大きいのではないか、というコーエンの反論に対し)確かにチーム造りは重要だが、それを外部性と呼んでよいかは疑問。企業でそれが起きれば、企業はそれを内部化し、そのように周りの人間の生産性を上げる人材に非常な高給を支払うだろう。それが賃金に反映されれば、ミンサー収益の範囲内になる。(ノードハウスの研究によると、イノベーターの大半は自身の発明がもたらした収益の2%程度しか得ていないので、ミンサーの賃金方程式は企業の利益をあまり捕捉していないのでは、というコーエンの再反論に対し)確かに超トップクラスのイノベーターには明らかな外部性がある。ただ、イノベーションによって既存の市場を他者から奪い取るという場合も少なからずあるので、ノードハウスの数字は極端ではないか。例えばグーグルの価値にはヤフーやアルタビスタなど他の検索エンジンの市場を奪った分も入っている。また、そういう例外的な1つか2つのイノベーションは、平均的な学校教育期間が10年から11年に伸びたこととはあまり関係ない。そもそもそうしたイノベーターが最も高度な教育を受けているとは限らず、米国で教育を受けていないこともある。米国の一つの強みは、ビジネス環境や制度環境、作れるチームの強さによってそうした才能を惹き付けることにある。
  • (民主主義は教育支出にあまり影響しない、というケイシー・マリガンらの研究についてコーエンに訊かれて)的外れな研究。こうした研究では、中国とスイスを比較するような意味の無い比較を行わないよう気を付ける必要がある。また、国が民主化する時は経済危機を伴う点も要注意。独裁政権が進んで市民に統治権を委譲することはなく、政権の崩壊によって民主化が実現する。そして、そうした崩壊は深刻な経済不況の最中に起きることが多い。以上の点に注意して研究を行うと、以下の2つの頑健な結果が得られる。
    1. 民主主義国は早く成長する。危機から抜け出るのに3-4年掛かるが、その後は急速に成長し、一人当たりGDPが20-25%増加する。
    2. 民主化すると税収が増え、教育や医療への支出が増加し、人々の健康状態が改善する。子供の死亡率が真っ先に改善し、初等教育中等教育の就学率もゆっくりながら着実に改善していく。
  • 今度の著書のテーマは、国家と社会の協業が重要ということ。人類の歴史の大部分ではそれが上手く行っておらず、国家無き無法社会か、社会の言うことに耳を貸さない圧政的な国家のいずれかだった。その間に、両者が協業する狭い道が存在する。その場合でも両者は喜んで協業する訳では無く、お互いより優位に立とうと競争し、赤の女王的な動学*8が生じる。そうした競争は、破壊的なものとならない限り、両者の能力を向上させる。その意味ではこれは制度理論であり、社会の政治参加を論じるという点で、規範や文化に関する理論である。ただ、国家と社会の協業と競争が両者を増強させるというのは、これまであまり注目されてこなかった考えであり、世界の解釈について新たな地平線を開くものなので、他の理論に簡単に包摂されるものでは無いと思われる。
  • 欧州でこの協業が例外的に上手く行ったのは、フランク人のボトムアップの政治参加制度と、ローマ帝国トップダウンの統治制度が融合したため。フランク人は教育が無かったため人的資本が乏しかったが、集会政治を規範化していた。(キリスト教が関わっているのでは、というコーエンの質問に対し)フランク人がキリスト教徒になったのは後のことで、国家建設のためだった。それに対し、彼らの集会政治の制度は実務的なもので、宗教は関係していない。また、ビザンチン帝国は西ローマ帝国より長く続き、ローマの制度の下でキリスト教が重要な位置を占めたが、そこでのキリスト教は抑圧的な役割しか果たさなかった。ポルトガルやスペインにおいても同様。イングランドでは逆に、サクソン人が持ち込んだ集会政治が重要な役割を果たしたが、キリスト教は二次的な役割しか果たさなかった。
  • 東アジアでは国家権力の伝統は中国の秦王朝に遡る。また、歴代王朝が採用した儒教が国家権力の一部として重要な役割を果たした。中国の伝統や制度は春秋戦国時代の政治の変化によって大きく変貌したが、そのことは、規範と制度の相互作用がそれらを形作る上で重要、という私の理論と整合的。
  • (「Why Nations Fail」では中国について悲観的だったが、その評価は変わっていないか、というコーエンの質問に対し)変わっていない。中国の成長は急速ではあったが、歴史上類を見ないものではない。自国のシステムの最も非効率的な部分を取り除くことによる成長という点では、19世紀のプロシアやロシアや1930-50年代のソ連の成長に似ている。現在、国家と社会の間の不均衡が見られるが、このことは、国家が社会を統制を強めるのと歩調を合わせて経済が成長していたことを意味している。特に習政権下では統制が強まった。多くの識者はこのことを予期していなかったが、この現象は「The Narrow Corridor」で我々が提示した枠組みと整合的である。
  • ただ、イノベーションとテクノロジーに取りつかれているという点で中国は例外的。他の独裁国家もテクノロジーを活用すべきということは理解しているが、独裁体制を維持しつつイノベーションを生み出すために社会を再編成する、ということをしようとはしていない。中国はそれをシステマティックに実施しようとしている最初の社会。中国共産党の独裁的支配を維持しつつ、デジタル技術、情報通信、AIでトップになろうとしており、そのために大量の資源を注ぎ込んでいる。それが成功するかどうかについては、完全な失敗に終わることは無いにしても、最も革新的なイノベーションに必要な個人主義を欠いているために大成功にもならない、というのが自分の見方。
  • 中国がこのまま民主化して狭い道に入り、非常に強力な市民社会制度を確立するとは思わない。国家を全く信用しない伝統がある場所に強力な国家制度を作ることはできない。国が違えば国家が何をするかという伝統も違うので、経済成長も異なるだろう。例えばベトナムは国家が生産や灌漑を整備するという伝統や制度が部分的にでもあったので、ミャンマーとはかなり違う。アフリカでは、国家制度の伝統が強力なルワンダブルンジエチオピアと、それが無きに等しいナイジェリアは異なる。こうした一般的な傾向を示すことはできるが、(コーエンが尋ねた、今後30年間アフリカで成長する国を挙げる、といった)特定の予測をするのは難しい。
  • (強気に見ている国を2,3挙げなくてはならない、と言われたらどこを挙げるか、というコーエンの質問に対し)中南米ではウルグアイとチリ。両国は、ボトムアップ政治が機能することと、トップダウンの国家制度、という2つに共に投資してきた。チリは経済的格差以上に社会的格差が大きく、それに起因する抗議活動や分配面での紛争も起きているが、ボトムアップトップダウンの組み合わせにより、多くの点でユニークな国になっている。ウルグアイにも深刻な紛争があるが、同様の挑戦を行っている。エチオピアも注目に値する。暴政に長らく苦しんできたが、他のアフリカ諸国より強力な国家制度を持っている。また、アビィ・アハメドボトムアップの要素を引き出そうとしている。そのほか、国ではなく都市単位というミクロで言えば、ラゴスも注目に値するため、著書で取り上げた。皆が無法地帯の例として持ち出すが、我々の枠組みから見てそこから抜け出す手掛かりとなるものも存在している。一部の政治家は国家の力と社会の統制の強化が必要だということを理解している。


この後の会話は、オルハン・パムクやトルコの政治などの個別の話題に移っている。

*1:本ブログでは昨年のクルーグマンの回を紹介したことがある。

*2:cf. サックスとの論争

*3:cf. ここ

*4:cf. ここ

*5:cf. ここ

*6:cf. ここ

*7:原文ではパーセントとなっているがここでは年の間違いとした。

*8:cf. 赤の女王仮説 - Wikipedia