ネオリベラリズムの指針となるイデオロギーとは?

一昨日、昨日に続きクリス・ディローねた。


少し前ネオリベラリズムを「捉えどころがなく意味が移ろう概念であり、明確な擁護団体がいない(a slippery, shifting concept, with no explicit lobby of defenders)」と評したロドリックの論説を紹介したが、ディローも以下のように書いている

Is neoliberalism even a thing? This is the question posed by Ed Conway, who claims it is “not an ideology but an insult.” I half agree.
I agree that the economic system we have is “hardly the result of a guiding ideology” and more the result of “happenstance”.
(拙訳)
ネオリベラリズムにはそもそも実体があるのだろうか? これはエドコンウェイが提起した疑問である。彼は、それは「イデオロギーではなく侮辱である」と主張する。それに私は半分同意する。
我々の現在の経済システムは「指導的なイデオロギーの帰結とはとても言えず」、むしろ「偶然」の産物である、という点に私は同意する。


ロドリックがネオリベラリズムの背後にフリードマンないしハイエク的な自由市場イデオロギーを見たのに対し、ディローはその結び付きを否定する。というのは、上位1%の権益を守るために国家の力を利用するのがネオリベラリズムの本質、というのがディローの見方だからである。金融危機時に政府が銀行を救済したこと*1や、EUギリシャへの対応において一般の人々を犠牲にして銀行への支払いを優先したことに、そのことが良く表れているという。それに関連してディローは再びエドコンウェイを引用している。

Ed has a point when he says that almost nobody fully subscribes to “neoliberal ideology”: free market supporters, for example, don’t defend crony capitalism.
(拙訳)
ネオリベラルのイデオロギー」に完全に帰依する人はほとんど誰もいない、と述べた時、エドは真実を突いていた。例えば、自由市場の支持者は、縁故資本主義を擁護はしない。


ただ、ネオリベラリズムにもイデオロギーはある、とディローは言う。それは事後の正当化である。例えば80年代半ばに上位1%のGDPにおけるシェアは倍増すべき、と主張した人はいなかった。しかし、実際に上位1%の所得比率が7-8%から15%に上昇すると、彼らはそれに値する、と論じられるようになった。
ディローは以下のように書いている。

A host of cognitive biases – the just world illusion, anchoring effect and status quo bias underpin an ideology which defends inequality. John Jost calls this system justification (pdf). You can gather all these biases under the umbrella term “neoliberal ideology” if you want. But it follows economic events rather than is the creator of them.
(拙訳)
各種の認知バイアス――公正世界幻想、アンカリング効果、現状維持バイアス――が、格差を擁護するイデオロギーを支えている。ジョン・ジョストはこうしたシステムを「正当化」と呼んでいる。お望みならば、これらのバイアスすべてを、総称的な用語「ネオリベラルのイデオロギー」で括ってもよい。ただ、これは経済的な事象の後に続くものであり、経済的な事象を作り出すものではない。

*1:彼はここでロイヤルバンク・オブ・スコットランドを例に挙げている。