経済学と人間のストーリーテリングの本能

昨年初めロバート・シラーのナラティブ経済学に関するAEA会長講演を紹介したことがあったが、表題の昨年5月8日のChicago Booth Review記事(原題は「Economics and the human instinct for storytelling」)でシラーがその内容を平易な言葉で解説している(H/T Economist's ViewのNew Links*1)。

The human species, everywhere you go, is engaged in conversation. We are wired for it: the human brain is built around narratives. We call ourselves Homo sapiens, but that may be something of a misnomer—sapiens means wise. The evolutionary biologist Stephen Jay Gould said we should be called Homo narrator. Your mind is really built for narratives, and especially narratives about other humans. That is why advertisers tend to focus not on a product itself, but rather on somebody doing some human action related to the product.
(拙訳)
人類は、どこに行っても、会話をしている。我々はそうするように出来ている。人間の脳は会話を中心に構成されているのだ。我々は自分をホモサピエンスと呼ぶが、これは幾分誤った呼び方である。サピエンスは賢いという意味である。進化生物学者ティーヴン・ジェイ・グールドは、我々はホモ・ナレーターと呼ばれるべきだ、と言う。広告主が製品そのものではなく、その製品に関連して誰かが何らかの人間的行動をすることに力点を置くのはそれが理由である。

ナラティブの例としてシラーは、ダウ平均が2万ドルを突破した時のマスコミの反応を挙げ、続けて以下のように書いている。

Now, the people on the floor of the NYSE—who are themselves part of a different narrative, given the preeminence of electronic trading—aren’t stupid. They knew it was just a number that was made up, that the Dow hitting 20,000 wasn’t a result of some new level of fundamental market soundness. But the story wasn’t about the market being fundamentally sound; it was a story about a number, and about the people around that number.
That is narrative economics.
Not everyone is equally proficient at understanding narratives, and economists are among the worst at appreciating them. But what even a lot of historians don’t appreciate is that you can’t understand history unless you understand what the stories were of the people who experienced these historical events. In fact, Ramsay MacMullen, who is a member of the Yale history department, wrote a book called Feelings in History in which he argues that historians could be more attentive to what people really thought during the periods they study.
(拙訳)
ただ、NYSEの場に立つ人々――ちなみに彼らも電子取引が優勢となった今となっては別のナラティブの一部である――は馬鹿ではない。彼らはそれが作られた数字に過ぎず、ダウが2万ドルに達したことは市場の基本的な良好さが何か新しい段階に達した結果ではない、ということを知っている。しかし物語は市場が基本的に良好かどうかについてではないのだ。それは数字についての物語であり、その数字を巡る人々についての物語である。
それがナラティブ経済学である。
すべての人がナラティブの理解に同様に長けているわけではなく、経済学者はナラティブを認識するという点で最悪の部類に属する。しかし、歴史家の多くでさえ、歴史的出来事を経験した人々の物語がどんなものかを理解しない限り歴史は理解できない、ということを認識していない。実際、イェールの歴史学科に属するラムジー・マクミランは「歴史の感覚*2」という本を著し、研究対象の時代の人々が実際に何を考えていたかについて歴史家はもっと関心を払っても良いのでは、と論じた。

この後シラーは、ナラティブが背景情報として重要だった例として以下を挙げている。

  • 南北戦争で北部が奴隷解放のために何十万もの人命を犠牲にする覚悟の感情を生み出した奴隷虐待の物語
  • 1920-21年の恐慌で、人々が暴利を貪る企業への怒りによって物を買わなくなる「感情ヒューリスティック(affect heuristic)」をもたらした各種の社会不安
    • 第一次大戦の何倍もの死者をもたらした1918-19年のスペイン風邪
    • それまで新聞を良く賑わせていたニコライ二世とその家族が1917年のロシア革命で一列に並ばされた上で銃殺されたこと
  • 1920年代の繁栄と価値観の変化に対する反動で、1920年代は不道徳な時代だったとする感覚が1929年の大恐慌が長期化する背景となったこと

シラーは論説を以下のように結んでいる。

Why do economists miss the stories behind many of our economic fluctuations? One reason is that economists have a tool kit, and narrative hasn’t traditionally been in it. We view narrative as somebody else’s territory. We do simultaneous equations. We teach general equilibrium theory. That’s fine, but by the time we finish teaching those, we’re tired.
But there is room for economists to do research on narrative economics. We have databases. We can do quantitative analysis. It’s not easy to study the very human phenomena of narratives, but we can collaborate with people in the humanities—people such as literary theorists, who try to understand why some story structures work and others don’t. If we do, and if we make room in our tool kit for narrative, I’m optimistic that in the next 10 or 20 years, we will have a better understanding of economic fluctuations.
(拙訳)
なぜ経済学者は、多くの経済的変動の背後にある物語を見逃してしまうのだろうか? 一つの理由は、経済学者は道具箱を持っているが、ナラティブは従来その中に入っていなかった、ということにある。我々はナラティブを別の人々の領分だと考えていた。我々は連立方程式を解き、一般均衡理論を教える、というわけだ。それは結構なことなのだが、そうしたことを教え終わった頃には、我々は疲れ果ててしまっている。
しかし経済学者がナラティブ経済学の研究をする余地は存在する。我々にはデータベースがあり、定量的分析をする能力がある。ナラティブという非常に人間的な事象を研究するのは容易なことではないが、ある物語構造が機能する一方で別の物語構造が機能しない理由の理解に努めている文学理論家のような人文学の人々と協力することができる。もしそうしたことを行って、自分たちの道具箱にナラティブの場所を用意すれば、10年か20年の後には我々は経済変動の理解を深めている、という点について私は楽観的である。

*1:なぜこの古い記事が今の段階でそこに上がってきたかは不明。

*2:

Feelings in History, Ancient and Modern

Feelings in History, Ancient and Modern