なぜ国家は企業のように考えられないのか?

先月半ば、リー・クアンユー行政大学院の学院長であるキショール・マブバニ(Kishore Mahbubani)がザ・タイムズ・オブ・インディア紙に寄稿し、表題の論説記事(原題は「Why can’t countries think like companies?」)で中印の連携を訴えている(H/T Mostly Economics)。

When the history of the 21st century is written and a list is made of the century's greatest missed opportunities, the visit of President Xi to India will probably be on it. No, the visit was not a failure. But it failed to seize the great opportunity that beckons China and India in this century. Why was that? The simple answer is that the minds of Chinese and Indian policymakers are polluted with a European concept invented 366 years ago in the Treaty of Westphalia. That concept is "sovereignty". Why is this concept destructive? Let me explain.
Just imagine that China and India were companies, not countries. As companies, they would study each other's strengths and weaknesses objectively and see whether economic synergies could be exploited to make both companies profitable. Any such objective study would show that enhanced economic cooperation between China and India would be akin to a marriage made in heaven. India badly needs world-class infrastructure. As an infrastructure superpower, China has demonstrated that it can deliver super-highways, fast trains, and cheap power stations to India. And it can even fund them. At the same times, China is running short of labour. India has labour in abundance. Chinese manufacturers could become globally competitive by manufacturing in India. India would then become a manufacturing power.
If I were a McKinsey or Bain consultant looking around for companies with synergistic opportunities, I could not possibly find a better economic partnership. In his heart of hearts, Prime Minister Modi understands this because he visited China four times as chief minister of Gujarat to seize these opportunities.
(拙訳)
21世紀の歴史が書かれて、この世紀の最も大きな失われた機会のリストが作られたならば、習国家主席のインド訪問はその中に含まれるだろう。いや、訪問は失敗では無かった。しかし中印の前に差し出された今世紀における大いなる機会を掴むことには失敗した。それは何故か? 答えは簡単で、中印の政策当局者の思考が、366年前にウェストファリア条約で発明された欧州の概念に毒されていたため、である。その概念とは「主権」である。なぜこの概念が破壊的なのか? 以下に説明したい。
中国とインドが国ではなく企業だと想像してみよう。企業として、彼らはお互いの強みと弱みを客観的に分析し、両企業が共に利益を上げられる経済的相乗効果の余地があるかどうか研究するだろう。そうした客観的な分析は必ずしや、中印の経済協力の増強は理想的な結婚に近いものだということを示すだろう。インドは世界水準のインフラを非常に必要としている。インフラの超大国である中国は、高速道路、高速鉄道、安価な発電所をインドに提供できることを示した。また中国はその建設資金をも提供できる。一方、中国では労働力が不足している。インドは豊富な労働力を有している。中国の製造業者はインドで製造することによって世界的な競争力を得られる。その時インドは、製造業の大国となるだろう。
もし私が相乗効果の機会を有する企業を探し求めているマッキンゼーかベインのコンサルタントならば、これ以上良い経済協力関係を見つけることはおそらくできないだろう。心の中では、モディ首相もこのことを理解している。というのは、グジャラート首相時代にそうした機会を捉えるために4度中国を訪れているからだ。


この後マブバニは、領土問題が両国間の棘となっていることを取り上げ、紛争の元となっている領土は中国の0.08%、インドの0.2%に過ぎないのだから、もし企業ならばそうした些細な領土争いのために大いなる成長機会を見逃すことはまったく馬鹿げたことと考えるだろう、と指摘している。そして、金が一番大事というわけではないが、両国の協力により経済成長が増せば、中印の何千万という人々が貧困から救われる、とも指摘している。僅かな領土のために争うよりは、そちらの方が道徳的によほど大事なことではないか、というわけだ。そして、欧州がEUという地域共同体に国家の主権のかなりの部分を委譲しつつある一方で、アジアの国々は未だに主権という概念に束縛されている、と領土問題を振りかざす人々を批判している。さらに彼は、西暦元年から1820年までの世界で最も大きな2つの経済大国は中印だったのであり、過去200年の西洋の覇権は歴史的には逸脱であったのだから、すべての逸脱と同様に終焉するのが自然、とまで述べている。


この論説についてMostly EconomicsのAmol Agrawalは、アジアの歴史は常に主権と国家の役割を重視してきたのではないか、と疑問を投げ掛けている。また、経済というレンズは失われた機会を見る良い方法ではあるものの、視野の狭すぎるレンズではないか、とも指摘している。企業でさえ、主権問題に類した事情で経済的機会を見過ごすことがあるではないか、と彼は言う。そして、従業員の企業に対する不満が溜まっている今日では、むしろなぜ企業が国家のように考えられないのか――即ち、自らの利益だけではなく従業員全体の厚生を考えることができないか――を問うべきかもしれない、と述べている。