トム・サージェントへのメモ:経済学は単なる常識に留まるものではない

と題したブログエントリ(原題は「Memo to Tom Sargent: Economics Is More than Just Common Sense」)でDavid Glasnerが、最近エコノブロゴスフィアで話題になった*1サージェントの経済学の12の教訓にコメントしている。なお、ここでGlasnerが「経済学は単なる常識に留まるものではない」という副題を付けたのは、「経済学は体系化された常識(Economics is organized common sense)」というサージェント講演中の言葉へのアンチテーゼである。
以下ではhicksianさんの訳されたサージェントの12の教訓に、副項の形でGlasnerのコメントの拙訳を付記してみた。

  1. 仮に実現されたとしたら望ましいのだが(残念ながら)実現可能ではないという例は数多い。
    • コメント:そして、そうした望ましいことの多くの実現可能性は不確実である。実際のところ、不確実性に言及していないことが却って目につく――私の常識に照らせば、不確実性は現実の重要な特性である。
  2. 個人も社会もともにトレードオフに直面している。
    • コメント:個人や社会が最適化を行っていない状況ではトレードオフが存在するとは限らない。また、たとえすべての個人が最適化を行っていても、社会は行っていないかもしれない。
  3. 他人は自らの能力や努力、好みについてあなたよりも多くの情報を持ち合わせている*2
    • 重箱の隅的なコメント:表現が非常によろしくない。明らかに彼が意図したのは、他人が自らについて持っている情報は、あなたが彼らについて持っている情報より多い、ということだが、彼らが自らについて持っている情報は、あなたがあなた自身について持っている情報より多い、即ち、ある人は他の人より高い自己認識を持っている、というように読める。
  4. 誰もがインセンティブに反応する。あなたが助けの手を差し伸べたいと考えている人たちもその例外ではない。セーフティネットが必ずしも意図した通りの結果をもたらさないのはそのためだ。
    • コメント:特に無いが、以下の11参照。
  5. 平等(公平)と効率の間にはトレードオフが存在する。
    • コメント:この教訓はあまりに曖昧かつあまりに単純で、役に立たない。
  6. ゲームの均衡においては(あるいは経済が均衡に落ち着いている状況においては)人々は皆自らの選択に満足している。善意ある第三者がやって来て状況を変えようと試みても(いい方向/悪い方向のどちらであれ)なかなか事態に変化が表れないのはそのためだ。
    • コメント:ここではどんな均衡の話をしているのか? すべての均衡が社会的に最適なわけではない。均衡が社会の状態を分析する適切な方法だとどうやって知ることができるのか? 均衡において、驚きや後悔はあるのか? 人々が驚いたり後悔したりしているのを目にしたならば、彼らは惑わされている、ないし、自らの感情を取り違えていることになるのか? そのような心理状態は頻繁に観察されるが、それは常識ではどう理解すれば良いのか?
  7. 誰もがインセンティブに反応するのは今(現時点)だけに限られるわけではない。将来においてもまたそうである。約束したいという思いはあってもそうはいかない(約束できない)というケースがあるのはそのためだ。例えば、時間が経って約束を果たさないといけなくなった時にその通りに行動する(約束を守る)ことがその人の得にはならないとしよう。そのことが広く知れ渡っている場合、一体誰がその人の約束を信じるだろうか? このことから次のような教訓が導かれる。約束をする前に一旦立ち止まって次のように自問してみよう。(約束する時に想定していたのとは)状況が変わっても自分はその約束を守り抜く気はあるだろうか?、と。このことを実践していれば名声(reputation)を手にすることができるはずだ。
    • コメント:特に無し。
  8. 政府や投票者もインセンティブに反応する。時に政府がデフォルトを宣言したり約束を反故にすることがあるのはそのためだ。
    • コメント:特に無し。
  9. 次の世代(将来世代)に費用の負担を押し付けることは可能だ。国債(の発行を通じた財政赤字の埋め合わせ)やアメリカの社会保障制度(シンガポール社会保障制度は別)などはそのための典型的な方法だと言える。
    • コメント:世代間の負担の押し付けが起こる状況や押し付けの規模はそれほど明らかではない。また、必ずしも現在の貯蓄量と結びついてはいない知識や生産性の向上が、将来世代の暮らしを現在世代に比べ顕著に改善するならば、債務負担を将来に課することが明らかに不当な選択とは言えない。
  10. 政府による支出はいずれは国民がその費用を負担することになる。費用を負担するのは今日かもしれないし明日かもしれない。税金の支払いといったはっきりと目につくかたちでの負担となるかもしれないし、インフレーションを通じた目につきにくいかたちでの負担となるかもしれない。どういうかたちであれ、政府が行う支出はいずれは国民がその費用を負担することになるのだ。
    • コメント:それは政府の支出先次第。
  11. 大半の人は公共財の供給や移転支出(特に自分が受け取る移転支出)に要する費用を他人に負担させたがるものだ。
    • コメント:なぜ大半の人? 公共財の供給に要する費用を負担したがり、移転支出を受け取りたがらない人がいるのか? 誰もがインセンティブに反応するのだと思っていたが? 上記4参照。
  12. 市場で成り立っている価格は多くの取引参加者の持つ情報を集約している。だからこそ、株価や金利、為替レートの今後の行方を予測することは困難なのだ。
    • コメント:特に無し。

*1:アレックス・タバロック邦訳)、ノアピニオン氏邦訳)、エズラ・クラインクルーグマン1クルーグマン2

*2:ここの翻訳はGlasnerのコメントを活かすためにhicksianさんのものより「改悪」した。