いじめの社会的帰結

Economic Logicブログがスクールカーストに関して以下のような考察を示している

If you do not manage to be part of the clique of "popular" people in school, or even worse are bullied, the conventional wisdom reassures you telling you that it is going to be all downhill from here on for the popular people, and that the bullied ones are going to be significantly more successful after school. I think the reason is that after high school, people split into the circles they really belong to, do not have to suffer other people they have nothing in common with and can really deploy their talents. The bulliers and popular people have lost their only edge, particular social interactions, once they get into the labor force and cannot progress.
(拙訳)
もしあなたがスクールカーストの上位層に属さないか、より悪いことにいじめの対象になっているならば、上位カーストの連中の人生は今後ずっと下り坂で、いじめられっ子は学校を出た後には彼らよりずっと成功した人生を歩むんだよ、というのが世間知による慰めの言葉になっている。その言葉の意味は、高校卒業後に人々は自分が本当に所属する集団に分かれ、共通項がまるで無い人々に我慢する必要が無くなり、自分の才能を存分に発揮できる、ということだと個人的に解釈している。いじめっ子や上位カーストの連中は、労働市場に入った後に、特定の形態の社会的相互作用という彼らの唯一の優位性を失い、先へ進めなくなる。


その上で、学校でのいじめと労働市場での帰結の関係についてギリシャのデータで実証分析を行った英国アングリア・ラスキン大学のNick Drydakisの論文「Bullying at School and Labour Market Outcomes」を紹介しているが、そこで示されている結果は上記の世間知とは逆で、いじめの体験は労働市場での価値の低下につながっているという。論文で立てられている仮説は、いじめが自尊心の低下につながり、それが学業成績を下げ、労働者としての価値にまで影響しているのではないか、というものである。そうしたケースがいじめの影響を克服して前向きに進んでいるケースよりも一般的なのではないか、というわけだ*1。ただ、例えば同性愛者はとりわけいじめの対象となりやすいが、彼らは労働市場でも正当な扱いを受けていないと思われるので、因果関係についてはまだ研究の余地はある、と論文の結論部では述べている。
ちなみにいじめっ子や上位カーストの行く末についてはこの論文では触れられていないとの由。

*1:Economic Logicの論文紹介では、しかしその一方でいじめられっ子のコンピュータ技術や英語力や学歴で測った人的資本の達成度は高い、とも書いているが、論文を読む限りむしろ逆の結果が示されているので、そのくだりは誤読と思われる。