ドラギの賭け

ロイターの9/25付けスペシャル・レポートが、7/26のドラギの「ユーロ安定のために何でもする」発言(cf. ここ)が、9/6発表の南欧国債購入計画(cf. ここ)に結実するまでの内幕を報告している(Mostly Economics経由)。


以下はその概要。

  • 7/26のロンドン講演でのドラギの「何でもする」発言は、ECBの人間も誰も事前に知らされていなかった。その時点ではドラギは自らの発言を保証する立場を何ら築いてはおらず、その発言は賭けだった。
  • 事の重大性に気付いたヨルグ・アスムッセン理事とベノワ・クーレ理事は、講演後に急いで各々の母国政府(=ドイツとフランス)にご注進に及んだ。それを受けてメルケル独首相とオランド仏大統領は電話会談し、ドラギの約束を反映した声明を発表した。こうしてドラギの賭けは、実現に向けた最初の一歩を踏み出した。
  • 昨年初め、当時のECB総裁だったジャン=クロード・トリシェの国債購入計画に反対してブンデスバンク総裁アクセル・ヴェーバーが辞任するということがあったが、ドラギは、現ブンデスバンク総裁のイェンス・ヴァイトマンが同様の行動を取ることを恐れた。講演の4日後の7/30に二人はドラギの執務室で会合を持ったが、物別れに終わった。
  • ロンドン講演後の最初のECB理事会が開かれた8/2時点では計画はまだ固まっておらず、理事会後のドラギの記者発表は具体性を欠くとして市場の失望を招いた。また、その記者発表においてドラギは、計画について理事会が一枚岩ではないことを記者に明らかにするように、というヴァイトマンの要求に応えたが、その際、反対者が誰かを曖昧にするという慣例に反し、唯一の反対者としてヴァイトマンの名前を出すというヘマを仕出かした。そのことはブンデスバンクやドイツ寄りのECB職員の怒りを買った。
  • メルケルは内心ではドラギ案を福音と考えていた。欧州の財政や銀行システムを統合するという計画は各国政府の合意が取れず、市場を落ち着かせてユーロ圏を安定化させることができるのはECBだけになっていた。2013年の再選を前にした彼女に取って、自分の政権下でユーロ圏が崩壊するのは耐え難いことだった。ドラギはイタリア人ということでドイツで不当に叩かれている、と側近にこぼしたこともあったという。しかし表向きは、かつての経済顧問だったヴァイトマンや国内の保守派の反対を慮って、沈黙を守っていた。しかし遂に、8月半ばのカナダ訪問の際に、メルケルはドラギ支持を明確に打ち出した。
  • その一方で、ドイツでのドラギ案に対する反発は高まっていた。8/26にシュピーゲルは、ドラギ案を麻薬に喩えたヴァイトマンのインタビュー記事を掲載した。数日後、バイエルンの連立与党の有力政治家アレクサンドル・ドブリントは、ドラギを偽金造りと非難した。8/30にビルト紙は、ヴァイトマンが辞任を検討と報じた。それは事実ではなかったものの、ドラギへの圧力となった。8月末にドラギはジャクソンホールへの出席をキャンセルし、残された一週間で計画の詰めに没頭した。
  • アスムッセンはドラギ案に賛成していると思われたが、ヴァイトマンの孤立を懸念し、購入計画にはIMFの関与などの厳しい条件を付けるべき、ということを講演やインタビューで口にするようになった。それは、2011年にECBがイタリア国債を購入した数日後に当時のベルルスコーニ首相が改革案を放棄した、という苦い経験を反映していた*1
  • 9/6の理事会でドラギはヴァイトマン以外の賛成票を得ることに成功したが、最終的な計画にはIMF支援という厳しい条件が付けられた。ECBが購入する国債の満期は3年以内とされた。また、ECBがそれらを売却することも可能とされたが、それは約束を達成できない国については支援を引っ込めるという脅しを暗に意味している。
  • この政策は最初は「Outright Open Market Operations (OOMO)」と名付けられたが、「Monetary Outright Transactions (MOT)」に変更され、最終的には、発表直前に、より文法的に正しい「Outright Monetary Transactions (OMT)」に落ち着いた。


7/26講演でドラギはユーロを(航空力学的には飛べるはずがないが実際には飛んでいる)マルハナバチに喩えたが、こうしてみると、ドラギの国債購入計画こそがマルハナバチに喩えられるべきものだった、という気もする(レポートの最後では同計画の最終的な実現に向けて乗り越えるべき障害が未だある、という趣旨の指摘がなされており、本当に飛ぶかどうかはまだ分からない、という部分もあるが…)。

*1:cf. ここで紹介したアスムッセン講演で提示された長期と短期の問題。