ヴァイトマン「金融危機は人災です!経済学者みんなで責任回避する経済学・入門」

以前、経済危機を地震に喩えたMark Thomaのブログエントリを紹介したことがあったが、イェンス・ヴァイトマン・ドイツ連銀総裁が、「危機の経済学――経済学者への挑戦としての危機(Crisis economics – the crisis as a challenge for economists)」と題したミュンヘンでの講演で、ラクイラ地震の一件に触れつつ、そうした見方に異を唱えている(Mostly Economics経由)。
以下はそこからの引用。

On 6 April 2009, a severe earthquake occurred in the central Italian town of L’Aquila with the tragic loss of more than 300 lives. Only six days earlier, there had been a meeting of a national commission for the forecast and prevention of major risks. Afterwards, the experts made a public declaration that, despite a few tremors over the past few days, there was currently no heightened risk of an earthquake in the region.
Ladies and gentlemen
I am telling you about this incident because it is possible to draw instructive parallels with the role played by economists in the crisis. In much the same way as seismologists are accused of not giving ample warning about the possibility of an earthquake, economists are accused of not giving ample warning about the looming financial and debt crisis.
And much as engineers are accused of making buildings that are not earthquake-resistant, economists are accused of building design flaws into the financial and economic system, with whole nations now suffering under the consequences.
Economists have never had the best of reputations, even in the academic world. Many may feel that the topics which occupy economists are too common or vulgar – such as money.
As Silvio Gesell wrote in 1911, “Lofty idealists can easily find subjects of investigation more attractive than money. Religion, biology, astronomy, for example, are infinitely more edifying than an investigation of the nature of money.”
By the way, Silvio Gesell himself found this object of investigation interesting enough to develop his own theory of money, even though, from today’s perspective, it cannot exactly be classed as part of the mainstream. Fortunately, there have been a sufficient number of other “lofty idealists” in the ensuing 100 years who have found it attractive and edifying to study money and the economy.
Over the course of time, economists have gained a fair amount of influence in policymaking, too, while the opponents of this development have long been branding it as the “economisation” of politics and society. With the 2007 financial crisis and the ensuing critical developments, unease about economists clearly grew, however.
It has become fashionable to berate economists. For instance, Philip Stephens, the associate editor of the Financial Times, recently wrote that “The economy is too important to be left to economists”.
In my view, the accusations levelled against economists are, at best, only partly justified, however. Allow me to use the events at L’Aquila again by way of illustration.
(拙訳)
2009年4月6日に、イタリア中部の町ラクイラで大きな地震が起き、残念ながら300人以上の方が亡くなりました。その僅か6日前に、大きなリスクに対する予知と予防に関する国の委員会が開催されました。会合後に専門家たちは、過去数日間に幾つかの弱い地震はあったものの、現在この地域での地震のリスクが高まったということは無い、と公けに宣言しました。
皆さん。
私がこの件についてお話したのは、危機において経済学者が果たした役割について教訓となる類似性をそこから引き出すことができるからです。地震学者が地震の可能性について十分な警告を出さなかった咎で非難されたのと同様に、経済学者は、来るべき金融債務危機について十分な警告を出さなかった咎で非難されています。
そして、技術者が耐震性に欠けた建物を建てた咎で非難されているように、経済学者は、金融経済システムに設計ミスを入りこませ、その結果として国全体が困難な状況に陥った、という咎で非難されています。
経済学者は、学界においてすら、最上の評判を得たことは決してありませんでした。多くの人が、経済学者が専門とするテーマ――例えば貨幣――はあまりに卑近と考えています。
シルビオ・ゲゼルは1911年に「気高い理想主義者は貨幣よりももっと魅力的な研究対象を容易に見つけられるだろう。例えば宗教、生物学、天文学などは、貨幣の本質を探ることなどよりも断然遥かに啓発的だろう」と書きました。
ちなみにシルビオ・ゲゼル自身はその研究対象を興味深いと考えたようで、独自の貨幣理論を展開するに至りました――今日の観点からすると、その理論は主流派の一部を成しているとは言えませんが。幸いなことに、続く100年の間に他の多くの「気高い理想主義者」が、貨幣と経済の研究を魅力的かつ啓発的と考えました。
やがて経済学者は政策決定にかなりの影響力を持つようになりました。そうした傾向に反対する人々は、これを政治と社会の「経済化」と長らく呼んできました。2007年の金融危機とそれに続く危機的な展開を受けて、経済学者への疑念は明らかに増大しました。
経済学者を非難するのは今や流行となっています。例えばフィナンシャル・タイムズの副編集長であるフィリップ・スティーブンズは、最近「経済学は経済学者に任せておくには重要過ぎる」と書きました。
しかしながら、経済学者に向けられたこうした非難は、正当化されるとしてもせいぜい部分的だろう、と私は考えています。そのことを明らかにするために、再びラクイラの事例を引いてみたいと思います。

この後でヴァイトマンは、金融危機地震に喩えることは不適切だとして、以下の点を指摘している*1

  • 経済学は精密科学ではなく社会科学。経済学の法則は自然法則とは違う。地震は自然現象として説明できる。地震がいつどこでどのくらいの大きさで起きるかを予知できないにしても、どの地域で地震のリスクが大きく、どの地域で小さいかを予知することは可能。

しかし、その指摘に続く以下のヴァイトマンの議論は、本人の意図とは裏腹に、むしろ経済学の失態を浮き彫りにしているように思われる。

  • 確かに金融安定化レビューなどの危機前の各種研究は、金融システムの変化に関するヒントを含んでいた。例えばBISは、クレジットの証券化やクレジット・デリバティブの急速な拡大に伴う揺れ戻しの可能性を繰り返し警告していた。実際、2001年から2007年の間に、クレジット・デフォルト・スワップ出来高は100倍になった。
  • 金融市場におけるこうした展開がもたらすマクロ経済的なリスクが認識されることはまず無かった。その主な理由の一つは、経済予測を立てる際に重要な基盤となるマクロモデルにおいて、金融市場はせいぜい初歩的な形でしかモデル化されていなかったことにある。
  • 過去数十年間に金融経済学とマクロ経済学はかなりの進歩を遂げたが、協力して進歩したわけではなく、それぞれバラバラに進歩した。金融部門と実体経済の相互作用に焦点が当たるようになったのはつい最近のこと。
  • 統計的および計量経済学的な手法の洗練とその経済研究への応用は、数々の重要な洞察をもたらした。しかしながら、今回の危機は、経済科学における数学の赫々たる進歩の意義に疑念を投げ掛けた。代わって、これまで傍流と思われていた経済史家が再び脚光を浴びている。最近の経済史研究においては、実証研究の手法を用い、従来よりも過去に遡った研究が行われている。ラインハート=ロゴフはその一例。彼らの研究やキンドルバーガーの本が明らかにしているのは、天が下に新しきもの無し、ということ。


その上でヴァイトマンは、今回の危機により見直しが必要になった経済政策の枠組みとして、以下の3点を挙げている。

  1. 金融市場の規制
  2. 中央銀行の役割
  3. 欧州通貨統合

このうちの第2点についてヴァイトマンは、バブルに関するFEDビューとBISビューを対比させ*2、前者は危機で失墜した、と評している。そして、後者の方向性を採用する際、金融安定化の責任はマクロプルーデンシャル担当当局が負うにしても、中央銀行が分析や提言といった形でそれを支援することについては前向きな姿勢を示している。
その一方で、バブルが過度の信用供与とほぼ常に結び付いているというキンドルバーガーの言葉を引用し、現在の世界的な低金利に対する警戒感を露にしている。さらに、危機の過程でECBが様々な責任を負うようになったことにも警戒感を示し、オトマール・イッシングが最近述べたという次の言葉を引用している。

It is clear that the more tasks central banks take on which go beyond the policy framework established to safeguard price stability, the more they come into the firing line of political disputes. Central banks also endanger their independence when they promise more than what they are actually capable of delivering with the monetary policy instruments available to them.
(拙訳)
中央銀行が、物価の安定を守るために確立された政策枠組みを超えた任務を引き受ければ引き受けるほど、政治的論争の矢面に立たされることが多くなることは明らかだ。また、中央銀行は、彼らに利用可能な金融政策ツールで実際に提供できる範囲を超えた約束をすると、自らの独立性を危うくする。

こうした中銀への権限ないし責任集中へのヴァイトマンの警戒感は、昨日紹介したダドリーの積極姿勢と対照的と言えるだろう。


また、第3点についてヴァイトマンは、再び地震の喩えを使い、地震が建物の設計ミスを明らかにしたように、金融危機が通貨統合の構造に潜んでいた危険なひびを明るみに出した、と評している。さらに、ハロルド・ジェームズの近著「Making the European Monetary Union」から以下の工学的な喩えを引用している。

the monetary union without a well-established base in fiscal regime and without a stable financial system had a very high centre of gravity that made for vulnerability and instability
(拙訳)
財政制度のきちんとした基盤を欠き、かつ、安定的な金融システムを欠いた通貨統合は、重心が非常に高いところにあり、脆弱で不安定なものとなる

そして、通貨統合を強化するための「マーストリヒト2.0」として以下の3点を提案している*3

  1. 規制の枠組みを補強して国の責任という原則を強化し、債務と管理を再調整する。
  2. ユーロ圏の金融システム安定への脅威を阻止する最後の手段としての危機対応のメカニズムを維持する。その一方で、金融システムの安定に過度のリスクを与えない形でのソブリン債のデフォルトや銀行の破綻を将来的には可能にする。これは、ソブリン債がこれまで享受してきた規制上の特権を廃止することを意味する。
  3. 銀行同盟を確立し、金融システムにとって重要な金融機関を単一の監督機構で監督すると同時に、明確な清算および再建手続きを定める。

*1:Mostly Economicsはこうしたヴァイトマンの姿勢を「Hmm…Seismologists accept their mistakes and flawed models, econs don’t(ふーむ、地震学者は自分たちの過ちとモデルの欠点を認めるが、経済学者は認めないわけだね)」と皮肉っている。

*2:ただしヴァイトマンは前者を「the Jackson Hole consensus」「the Greenspan doctrine」「mop-up strategy」、後者を「more symmetrical monetary policy」と呼んでいる。

*3:この提案を行うヴァイトマンのスタンスは概ね次のようなものである:元々ブンデスバンクは、1990年9月19日の声明で明らかにしたように、通貨統合は政治統合を必要とする、という立場を取っていたが、結果的にはマーストリヒトの枠組みで話が進み、その後、その枠組みの脆弱性が明らかになったものの、政治統合は依然として欧州市民および政府の支持を得られないので、ここではマーストリヒト体制の強化という提案を行う。