所得格差問題を安易な政策対応でカバーしようとしたことが現在の米国経済の苦境を招いた、と唱えてフルボッコに遭ったラジャン*1が、今度は同じような主張をインド経済について展開した(Mostly Economics経由)。
その概要は以下の通り。
- 景気減速の第二の原因は、好景気の時に克服しなかった弱点を各国が今も抱えていることにある:
- 中国:経済成長を固定資産への過剰投資に頼り過ぎていること
- ブラジル:高金利と低投資を持続せしめる低貯蓄率と様々な制度的問題、並びに、教育が全人口に行き渡っていないこと
- ロシア:教育程度が高いにも関わらず、経済成長を資源産業に頼っていること
- しかし、2010年以降年間GDP成長率が5%低下したインドが潜在力を発揮していない理由を理解するのは簡単ではない。というのは、道路、橋、港湾、電力などの基本インフラや教育や基本医療といった公共財さえ提供すれば成長が達成できる条件は整っているからだ。インドには、強力な起業家層、十分な規模の教育程度の高い中間層、および、多数の世界クラスの企業が存在しており、そうした公共財の提供に動員できる。そうした公共財への需要を満たすことは、それ自体が成長の源泉となるのみならず、道路の整備は、交易の活発化やレストランやホテルなどの様々なビジネスの参入を通じて経済活動を大いに高める。
- インドは1990年代に、許認可で雁字搦めになっていた制度を撤廃した。各政権は経済成長の必要性を理解しており、2004年にインド人民党は開発促進を謳って選挙に臨んだほどだった。しかし、その選挙でインド人民党は敗北した。敗因が共闘した相手が悪かったことにあるのか成長を訴えたことにあるのかは不明だが、政治家は成長は票にならないという教訓を学んだ。
- その選挙結果は、地方や貧困層に成長の果実を与えねばならない、ということを示していた。それを実施するには二通りの方法があった:
- インド人民党の敗北後、少数の例外事例を除き、インドの政治家は人気取り政策を再選をより確実にする道として選択した。平均的な貧しい有権者もまた、政府にそれほど期待せず、公共サービスよりはバラマキを好んだ。
- その後の数年間は、過去の改革の遺産と世界経済の好調のお蔭でインドの成長は続いた。政治家は改革の必要性を感じず、ましてや既得権益を揺るがすような改革は好まなかった。地方の雇用保証政策や農民の債権放棄政策が2009年の統一進歩連合の勝因とされたことで、ポピュリズムへの傾斜はさらに強まった。
- そうこうするうちに、土地への需要の高まりが、従来の土地登録制度の不透明さと相俟って、汚職の蔓延を招いた。それが遂に怒れる中間層の行動を引き起こし、政治家や官僚や企業の経営者が逮捕される事態に至った。その一件の副作用として、正直な官僚でさえ、企業に対しインドの官僚制の迷路の案内役を務めることを厭うようになった。その結果、鉱工業やインフラの各種計画が徐々に停止に追い込まれた。
- また、ポピュリスト政策への財政支出やサプライサイド政策の不在は、インフレの高騰を招いた。インド家計は安全資産を求めて金に走ったが、インドでは金をあまり産出していないため、そのことは経常赤字拡大に大きく寄与した。外国投資家のインドへの熱も冷め、ルピーはここ数週間で大きく下落した。
- 他の新興国と同様、インドの未来はインド自身の手に握られている。困難が皆の心を一つにした結果、透明性と効率性の高い政府の確立に向けて政治家が党派を超えて協力し邁進するならば、インドの莫大な潜在成長力は直に再び点火するだろう。もしそうならなければ、希望と野心の行き場を失ったインドの若者は、自分で行く末を決定することになる。
このProject Syndicate記事のコメント欄をざっと見る限り、米国経済の場合と異なり、インド経済についてのこのラジャンの診断は比較的好意的に受け止められているようである。