何が国家の繁栄を決めるのか?

下記のダロン・アセモグルとジェームズ・ロビンソンの新著の内容が、MITニュースで紹介されている

Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty

Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty


以下は同記事の概要。

  • アセモグルとロビンソンが出した回答は政治体制。包括的な(inclusive)政治体制、即ち、政治や財産の権利があまねく行き渡り、法の執行と公共インフラの提供がなされる体制を持つ国が、長期的に見て最大の経済成長を達成する。逆に、少数支配的な(extractive)政治体制は、全般的な成長の達成にそもそも失敗するか、もしくは短期の高い経済成長の後に停滞する。
  • 経済成長は広範な技術革新に依存するが、そうした技術革新は国が権利を保障し、人々に発明のインセンティブを与える国家でのみ継続する。「経済的繁栄の維持には政治的平等が不可欠」というのがアセモグルの言。
  • アセモグルとロビンソンは、このテーマについて約15年の共同研究を続けてきた成果を今回上梓した本にまとめたが、そこでは包括的な政治体制を欠いた国の崩壊や停滞をかつてないほど詳細に研究している。それによると、成長をもたらす新しい技術は国の政治経済の権益バランスを変化させるが、エリートは既得権益を守るためにそれに抵抗する、との由。そうした抵抗によってエリートは一時的に自分の権益を保持するが、結果として国は貧しくなる。
  • アセモグルに言わせれば、彼らの解釈――制度がインセンティブを形成し、インセンティブは重要である――はある意味で自明だが、未だ一般常識とはなっていない。
  • ウェーバーをはじめとして、文化に成長要因を求める考え方もあるが、アセモグルとロビンソンは以下の理由でそれは説明要因として不十分と考えている:
    • 欧州各国は、文化の違いやプロテスタントカトリックの違いを問わず、同様に発展を遂げて富裕国となった。
    • 同じ文化圏でも著しく経済発展が違ってしまった例がある。戦後の北朝鮮と韓国が代表例。
    • 同じ国でそれほど文化が変化していないにも関わらず、経済発展の軌道が大きく変化した例がある。
  • また、ジャレッド・ダイアモンドは「銃・病原菌・鉄」で天然資源の違いを経済発展の違いをもたらす要因として挙げたが、天然資源という条件ではほぼ同様だったにも関わらず、スペインはペルーの6倍の一人当たりの裕福度を達成した。「『銃・病原菌・鉄』には刺激を受けたが、我々の結論はまったく違う」とアセモグルは言う。
  • アセモグルとロビンソンによれば、世界の経済史でターニング・ポイントとなったのは17世紀後半の名誉革命。それ以前にも発明家は存在したが、十分な報酬を得ることができなかった。名誉革命は、特許権の保護を含む権利の拡大の歴史において転機となり、18世紀後半以降、英国は新石器時代以来の長期の持続的な経済成長を達成した。
  • アセモグルとロビンソンは、「自然実験」の結果を多用している。先の北朝鮮と韓国のほか、アリゾナ州のノガレスと国境を挟んだメキシコのノガレス、ボツワナと隣国のジンバブエなど。
  • ジンバブエのような例はまた、独裁者は単に成長政策を分かっていない、という学界の大多数を占める考えへの反証になっている、とアセモグルは言う。そうではなく、独裁者はそもそも目的を権力の維持や自らの腹を肥やすことに置いているため、国の経済発展を最大化しない政策を意図的に選択している。
  • 少数支配的な国でも、技術的なキャッチアップの過程で経済成長を達成することはある。1928年から1960年に掛けて年率6%の成長を遂げ、農業国から工業国に転換したソ連がその例。しかしソ連はその後の技術革新が続かず、1980年代に崩壊を始めた。
  • 古代ローマの場合は、市民の権利拡大と包括的政治体制の発展が成長に大きく寄与したが、紀元前30年頃に専制国家に転換してしまったため、経済発展の道が閉ざされた。ベネチアも同様の運命を辿った。果たして中国の運命や如何に?