消費平滑化と消費性向

道草でも紹介されている*1サムナー対サイモン・レン−ルイス&クルーグマンの論争に絡めて、Nick Roweが消費平滑化と乗数効果について論じた。それをケインジアン・クロスの式を用いて小生なりに翻案すると、以下のようになる。


通常のケインジアン・クロスの式
 Y = c*(Y-T) + I + G
に、消費が当期ではなく恒久的な可処分所得に依存するという消費の平滑化を取り込み、
 Y = c*E[Y-T] + I + G
に書き換える。ここでE[・]は期待値を表わすものとする。
すると、cは当期の可処分所得に対する限界消費性向ではなく、可処分所得の長期的な均衡値に対する消費性向となり、いわば消費の平滑化の程度を表わす変数となる。
さらに、この式の両辺の期待値を取れば、各変数の長期の均衡値同士の関係が得られる。
 E[Y] = c*E[Y-T] + E[I] + E[G]
ないし
 E[Y] = E[G-cT+I] / (1-c)


つまり、式の形自体は結局元のケインジアン・クロスと変わらないものの、時間次元の側面を切り落とした均衡式が得られる。そのため、政府支出Gが政府債務によって賄われるか税によって賄われるか無差別というリカードの中立性も包摂したものと考えられる。


この長期均衡における財政の乗数効果についてクルーグマン*2の言う比較静学を考えるならば、この式を財政支出や税の存在しない
 E[Y] = E[I] / (1-c)
と比較することになる。両者の差は
 E[G-cT] / (1-c)
なので、そのことは即ち、E[G-cT]をどう考えるか、に帰着する。

  • もし財政支出がまったく無駄だと考えるならばE[G]=0となり(あるいは生産にとってむしろ有害と考えるならばE[G]<0となり)、財政支出によって生産は低下する。即ち、乗数はマイナスである。
  • 一方、通常の均衡財政乗数の仮定通りE[G]=E[T]とするならば、生産はE[G]だけ上昇する。この時の乗数は1である。
  • あるいは、財政支出によって将来の成長の種が撒かれるという効果が存在し、それによって財政支出以上に生産が増すと考えるならば(E[G]>E[T])、乗数は1よりも大きくなる。


ちなみに、上記のようなことをRoweのエントリのコメント欄に書き込んだところ、同意の旨の反応を貰った。また、論争の当事者の一人であるサイモン・レン−ルイスも、その2日後に、奇しくも概ね同趣旨(=消費平滑化の一つの表現としての均衡財政乗数という解釈)のエントリを上げている



なお、この場合、消費項はc*E[Y-T]なので、消費の低下はcE[T]であり、E[T]より小さい。即ち、消費者は課税分ほどには消費を落とさない。従って、必然的にE[I]が(1-c)E[T]だけ低下せざるを得ないのに、サイモン・レン−ルイス&クルーグマンはその点を無視している、というのがサムナーの彼らに対する批判の骨子である。
それに対し、サムナーはE[Y]を固定で考えており、それが最終的に上昇することを考慮していない、というのがサイモン・レン−ルイス&クルーグマン側の立場、ということになる。ただ、その場合、消費も最終的に下落ではなくむしろ上昇することになるが、サイモン・レン−ルイスはあくまでも消費の低下幅が税よりも小さいと記述しており、消費の下落を前提としているではないか、というのがサムナー側の再反論、ということになる。



また、Roweは、移転支出の乗数効果はゼロであると記述しているが、移転支出ではG=Tであるとすると、それは
 E[Y] = T + E[I] / (1-c')

 E[Y] = E[I] / (1-c)
と等しくなるように消費性向がcからc'に調整される、ということになる。正確にはRoweは一財モデルにおいて政府が税金で財を買い上げて消費者に配布する場合を想定しているのだが、それは消費者の代わりに政府が買い物を代行していることに他ならないから、というのがその論理である。それに対し小生が、富裕層の貯蓄として退蔵されていた金が再分配によって貧困層の消費に回され*3、全体の消費性向が底上げされてc'よりも大きくなるならば乗数効果はプラスになり得るのではないか、とコメントしたところ*4、特にそれについての反論は無かった。

*1:ここここここここここ

*2:邦訳

*3:cf. ここの事務屋稼業さんのツイート。

*4:正確には、最初、移転支出の乗数効果もプラスになり得るのではと簡単にコメントしたら、意味が分からん、と言われたので、この旨の記述を再コメントした。