低成長の時代?

ケネス・ロゴフがProject Syndicateで、所得成長が必ずしも幸福度の上昇に結び付かないというイースタリンの逆説(Easterlin Paradox)を基に、長期的成長率にこだわることの愚を説いた*1 *2。それに対しWill Wilkinson猛然と反論し、ロゴフのかつての教え子だというブライアン・カプランがWilkinsonに軍配を上げている


Wilkinsonのロゴフ批判は、一つにはベッツィー・スティーブンソン(Betsey Stevenson)とジャスティン・ウルファーズ(Justin Wolfers)によるイースタリンの逆説を反駁した論文に基づいている*3。その論文では「There appears to be a very strong relationship between subjective well-being and income, which holds for both rich and poor countries, falsifying earlier claims of a satiation point at which higher GDP per capita is not associated with greater well-being.」と記述されており、一人当たりGDPの成長と満足度が無関係になる飽和点など存在しない、と主張している*4


一方、そのWilkinson記事のコメント欄に寄せられた最初のコメントでは、リチャード・イースタリン自身によるスティーブンソン=ウルファーズ(やその他の批判)への反論を紹介したガーディアン記事にリンクしている。それによると、イースタリンは発展途上国を対象にした最近の研究でもイースタリンの逆説を見い出すと同時に、スティーブンソン=ウルファーズら批判者は短期の成長と長期の成長を混同しているのだ、と主張している。
具体的には、イースタリンは論文で以下のように述べている。

The main problem with the Stevenson and Wolfers (S-W) analysis is that they, in fact, estimate a positive short-term relationship between life satisfaction and GDP, rather than the long-term relationship, which is nil. That life satisfaction and GDP tend to vary together in contractions and expansions has already been demonstrated for a group of developed countries (25), and microlevel evidence consistently shows that unemployment has one of the most negative impacts on happiness (4, 8, 10).

つまり、景気循環に伴う成長低下はイースタリンの逆説に当てはまらず、それにより生じる失業は確かに幸福度を低下させる、とイースタリン自身は明確に認めている。その論点がロゴフの考察とWilkinsonの反論の双方から抜けて落ちているため、両者の議論は現下の状況に照らしてやや迂遠なものになっているようにも思われる。

*1:ちなみに、少し前に池尾和人氏もタイラー・コーエンの大停滞という別の観点から低成長やむなしという議論を展開している

*2:なおロゴフは、各国が成長にこだわる理由として国際的な経済ランキングにおける相対的な地位という問題もあるかもしれないが、それはマクロ経済学埒外である、とも指摘している。

*3:それ以外の批判は、ロゴフが暗黙に高い割引率を仮定していること、および、ロゴフが成長よりも心配すべき問題として引き合いに出している温暖化と成長とのトレードオフ関係が不明確なこと(カプランの勝敗判定は主にこの論点に基づいている)、に向けられている。

*4:なお、Wilkinsonは、飽和点を年間所得にして75000ドルと見積もったカーネマンらの研究を一方で引用し、現在の世界の平均所得は8000ドルなので、倍増を3回繰り返してもまだ足りない、と指摘している。ただ、それについては、スティーブンソン=ウルファーズ研究と一緒に提示することで却って論旨を弱めているのではないか、という趣旨の指摘がコメント欄でなされている。