バジョットが現代に生きていたら懲罰的金利を提案しなかった?

David Andolfattoが、バジョットの懲罰的金利(ペナルティレート)のそもそもの意味を問うエントリを書いている


いわゆるバジョット・ルールに関する記述を「ロンバード街 金融市場の解説 (日経BPクラシックス)」の第7章の概要箇所から引くと以下の通り。

イングランド銀行も・・・その貸付の本来の目的を達成できるようにするべきである。その目的とは、恐慌を食い止めることである。貸付によって、可能ならば恐慌を終息させるべきなのだ。この目的のために二つの原則がある。第一に、これらの貸付は非常に高い金利でのみ実施すべきである。高金利の貸付は、過度に臆病になっている人々に対しては重い罰金として作用するため、貸付を必要としない人々からの融資申し込みの殺到を防ぐことができる。貸付金利は恐慌の初期のうちに引き上げ、この“罰金”が早くから支払われるようにする。充分な対価を支払わないまま、無益な用心のために資金を借り入れる者が出ないようにして、銀行支払い準備を可能なかぎり保護するのである。
第二に、この高金利の貸付は、あらゆる優良な担保にもとづき、また大衆の希望にすべて応じられる規模で実施すべきである。その理由は明白だ。貸付の目的は不安の抑制であるため、不安を生じさせるようなことはすべきではない。しかし、優良な担保を提供できる人々への貸付を拒否すれば、不安が発生する。


これについてAndolfattoは、次のように論じている。

  • もし市場において趨勢的な高金利を適用するのであれば、最後の貸し手たる意味は存在しない。
  • もし市場金利よりも低率の金利を適用するのであれば、それはいわゆる「救済」*1となる。ただ、通常時の金利にまで下げてしまうと、いわゆる懲罰的金利*2にはならない。従って適用するべき金利はそれよりは高くなるはずだが、この点についてバジョットは具体的な指針を提示していない。
  • そもそもなぜ懲罰的金利が必要なのかというと、バジョットは上の引用部で、「銀行支払い準備を可能なかぎり保護する」ため、と述べている。それは、当時の貨幣は実際の金貨や銀貨であったため、銀行準備が枯渇する恐れがあったことを反映していると思われる。
  • しかし、今の貨幣は不換紙幣(ないし電子的に記録された準備預金)なので、枯渇の恐れは存在しない。そう考えると、今日バジョットが生きていたら、懲罰的金利を提案しなかったのではないか?


これに対しコメント欄では、不良銀行を淘汰するために懲罰的金利が必要なのだ、という指摘がなされたが、Andolfattoは、そのような話は後世の解釈であり、元々のバジョットの議論では出てきていない、と撥ね付けている*3

*1:この言葉は正確に定義されておらず、気に食わない貸付へのレッテル貼りに使われているようだ、とAndolfattoはコメントしている。

*2:バジョット自身はこの用語(=penalty rate)は用いていないのではないか、とAndolfattoは指摘している。ちなみに上述の引用部で「罰金」の訳語が当てられているのは、原文では「fine」である。

*3:そのほかには、例えばこちらの小論では、懲罰的金利が適用されないことの副作用として、「不必要な資金需要が生まれ、それが新興国の資産市場や先進国の商品市場に流入している可能性」が指摘されている。