ボールのファウル?

10/22エントリでは、Williamsonの名目GDP目標政策に対する疑義を紹介した。彼の疑念の一つは、名目GDP目標論者は、実質GDPの成長トレンドの安定性を過大視しているのではないか、ということだった。


今月に入って、Canucks AnonymousのAdam Pが同様の批判を繰り広げ、Nick RoweAndy Harlessスコット・サムナーBill Woolseyを相次いで撫で斬りにしたため、批判された各論者がそれに応酬する、という騒ぎがあった*1。Adam Pは自分のブログを開設する前からRoweのエントリの常連コメンターであったが、歯に衣着せぬ物言いをする人でもある。相手が温厚な紳士であるRoweである間はそれでも良かったのだが、今回は同様の物言いで他のマーケット・マネタリストに批判の矛先を向けたため、その応酬はやや尖鋭化したものとなった。例えばサムナーが反論エントリの最後で

I make no apologies for ignoring these little toy models, and having my policy analysis incorporate a complex mixture of politics, macroeconomic history, well-established basic economic principles, and logic.
(拙訳)
そうした小型の簡易モデルを無視し、政治とマクロ経済史と確立された経済の基本原理と論理を組み合わせた政策分析を行うことに対し言い訳をするつもりはない。

と吐き捨てたのに対し*2、Adam Pはサムナーの分析には「マクロ経済史」も「確立された経済の基本原理」も無い、と痛罵している。また、Woolseyも3つのエントリを立ててAdam Pとやりあったが(ここここここ)、その反応は怒りを隠せないものとなった。


今回の論争は、Free ExchangeでのGrep Ipによる名目GDP目標論批判に端を発している。それを取り上げたRoweのエントリのコメント欄でRoweとAdam Pが議論していたが、Adam Pがその議論を展開するために自ブログでエントリを立てたことから騒ぎが大きくなった。


Adam Pが自らの主張において大きな拠り所としたのが、Ipの紹介したローレンス・ボール(Laurence Ball)論文である。その概要を紹介すると以下の通り*3


ボールのモデルは単純で、以下の二式からなる。
IS曲線
 y = -βr(-1) + λy(-1) + ε                              ・・・(1)
加速度原理のフィリップス曲線
 π = π(-1) + αy(-1) + η                              ・・・(2)
yは実質GDP、πはインフレであり、いずれもトレンドからの乖離として表わされている。εとηはホワイト・ノイズのショック項である。y(-1)はyの1期ラグを示す。


このモデルでは、金融政策当局者は、1期先の実質GDPの期待値E[y(+1)]が
 E[y(+1)] = -q*E[π(+1)] = -q*(π+αy)                       ・・・(5)
となるようにrを定める。その時のrは
 r = [(λ + αq)/β]y + [q/β]π                           ・・・(6)
であり、これはテイラールールに他ならない。


ここで損失関数を
 Var(y)+μ*Var(π)                                  ・・・(3)
と定義する。これを最小化するqは、以下のようになる*4
 q = ( -μα + sqrt(μ2α2+4μ) ) / 2                        ・・・(7)

μ→∞の時、即ち金融政策が実質GDPの振れは気にせずにインフレの振れだけを気にする時は、q=1/αになる*5
逆に、金融政策が実質GDPの振れだけを気にする時は、μ=0であり、その時q=0となる。従って、qが[0, 1/α]の範囲に存在する時、損失関数が最小化されているものと考えられる。ちなみにボールはα=0.4、β=1、λ=0.8という数字をカリブレートしている。


この枠組みに名目GDP目標
 E[y(+1) + π(+1) - y] = 0                               ・・・(11)
を取り入れると、
 r = [(α + λ - 1)/β]y + [1/β]π                          ・・・(12)
 y = (1-α)y(-1) - π(-1) + ε                            ・・・(13)
が得られるが、これは名目GDPは一定にするものの、実質GDPとインフレの不必要な振動を招いてしまう。このボールの論文の帰結こそ、Adam Pが名目GDP目標批判の主眼に据えたところである。


こうしたボール論文を盾にしたAdam Pの主張に対しては、サムナーとデビッド・ベックワースが、ボールの批判はマッカラムによって反論済み、と指摘している*6。それに対しAdam Pは、マッカラムが反論したのは不安定性に関することだけで、最適性については保留している、とその指摘を撥ね付けている。


ただ、そこで小生が疑問に思ったのが、そもそも(11)式のボールの名目GDP目標の定式化は正しいのだろうか、という点である。そこで、Adam Pのエントリに以下のようなコメントを書き込んだ。

(yもπもトレンドからの乖離として定義されているので)Yを実質GDPの実額、Tをそのトレンド、Pを価格、Uを(P/P(-1))のトレンドとすれば、y=ln(Y/T)、π=ln(P/P(-1)/U)と表わされますよね。すると
 y + π = ln(Y*P) - ln(T*P(-1)*U)
は名目GDPのトレンドからの乖離ということになります。従って、名目GDP目標は、ボールの記述したE[y(+1) + π(+1) - y] = 0ではなく、E[y(+1) + π(+1)] = 0ということになるのではないでしょうか?
その場合、名目GDP目標はボールの(5)式のq=1のケースに過ぎない、ということになります*7

それに対しAdam Pから、名目GDPの成長率を問題にしているのだからyの階差が式に無いはずが無い、という応答を貰ったので、続いて以下のように書き込んだ。

では、私の記法でボールの名目GDP目標がどうなるか見てみましょう。
 y(+1) + π(+1) - y = ln(Y(+1)*P(+1)) - ln(Y*T(+1)/T*P*U(+1))
つまり、T(+1)の代わりに、Y*T(+1)/Tをトレンドとして使用していることになります。それが話を不必要にややこしくしているのです*8

これに対するAdam Pの反応は無く、その後はむしろ過去のデータを巡る話に議論が移っていったので*9、あるいはAdam Pも小生の指摘に納得してくれたのかもしれない。

*1:RoweとHarlessは自分が対象となったエントリ(Roweこのエントリでも)のコメント欄で、サムナーとWoolseyは自ブログでエントリを立てて反応した。

*2:ちなみにタイラー・コーエンはそれを「Very good sentences」と褒めそやしている

*3:以下、式番号は論文のものをそのまま使用するが、説明の都合上一部順番を入れ替えている。

*4:論文のAppendix A にVar(y)とVar(π)の具体的な表式が示されているので、それを元に(3)式をqで微分したものと思われる。なお、形だけを見ると、これは、2次方程式
 q2 + μαq - μ = 0
のプラスの解に等しい。

*5:(7)式の分母分子をμで割ると
 q = ( -α + sqrt(α2+4/μ) ) / (2/μ)
となるが、これはμ→∞の時、分母分子が共に0になってしまう。ここでx=1/μとおくと
 q = { -α + sqrt(α2+4x) } / (2x)
となる。ロピタルの定理を適用するため、この式の右辺の分母分子をそれぞれxで微分すると、
 { 4*(1/2)*(1/sqrt(α2+4x) ) } / 2
となる。これはx=0の時、1/αとなる。

*6:ただしベックワースは、Adam Pへの反応ではなく、Ipへの反論エントリの中でそのことを指摘している。

*7:α=0.4というボールのカリブレーションを前提とすれば、q=1は(3)式の損失関数を最小化する最適解の範囲内、ということになる。なお、この時μ=1/(1-α)となる。

*8:成長率で言えば、足元の状況に関係無くあくまでもトレンドの伸び率U*T(+1)/Tを目標とするのか、それとも足元の実質GDPを踏まえてそれを1期先にはトレンドに戻すU*T(+1)/Yを目標とするのか、という差になる。このモデルではTに関する不確実性はεに吸収されており、期待値ベースでは決定論的な過程になっているので、前者にこだわる意味は存在しないと思われる。
ちなみにボール論文の以前のバージョンでは、名目GDPの水準目標を、pを対数価格のトレンドからの乖離として、E[y(+1)+p(+1)]=0と表現している。ここで彼はp(+1)=p+π(+1)としているが、それは小生の記法に照らせばp=ln{P/(UnP(-n)}と置いていることになる。即ち、価格のトレンドからの乖離の過去からの累積である。結果的に、そのpがボールの名目GDP水準目標と(q=1とした)(5)式との差になっているが、これは名目GDP目標に限った話ではなく、価格水準目標の場合も同様になるかと思われる。

*9:cf. Adam Pの議論とそれに対するベックワースWoolseyRoweの反応。