600年の時を超えた憎悪

「憎悪の地理学:戦間期のドイツの反ユダヤ主義は中世のユダヤ人大量虐殺に如何に影響されたか」と題された記事がvoxeuに掲載されていた(原題は「The geography of hate: How anti-Semitism in interwar Germany was influenced by the medieval mass murder of Jews」)。


その記事の内容は以下の表に集約される。

1349年の
ユダヤ人迫害
1920年代の
ユダヤ人迫害
なし あり 合計
なし 78 (98.7%) 196 (91.6%) 274 (93.5%)
あり 1 (1.3%) 18 (8.4%) 19 (6.5%)
合計 79 214 293


即ち、1920年代にユダヤ人への迫害が行われた19の町のうち、18は14世紀にユダヤ人への迫害(黒死病の原因との疑いを掛けて虐殺)が記録された町であった。14世紀に迫害が無かった町で迫害を受ける確率は1/79(1.3%)だったのに対し、14世紀に迫害があった町で迫害を受ける確率は18/214(8.4%)と6倍以上に跳ね上がった、と著者たち(Nico Voigtländer、Hans-Joachim Voth)は述べている。

彼らはまた、ナチ党の支持率、シュテルマーへの投稿の多さ、ユダヤ人の追放頻度の高さ、さらには1938年の水晶の夜に際してのシナゴーグへの襲撃の多さを取っても、同様の結果を見い出した、と報告している。


このように特定の町で憎悪が時を超えて継続する理由――15世紀以降ユダヤ人の多くがドイツから姿を消し、19世紀に戻ってきたばかりにも関わらず――に関し、著者たちは以下の3つの要因を挙げている。

  1. ユダヤ人への憎悪は、余所者と仲間うちの区別が激しいことの一つの表れに過ぎないのかもしれない。
  2. 今回の研究で問題となった町は大体が小さな町であった。1920年代の人口は18,000人、中世の人口は数千人程度というのが中位値。人口の流出入は限られ、婚姻は概ね同じ町内で繰り返されてきた。
  3. キリストへの裏切り者としてのユダヤ人という記憶。

彼らは、今回の研究結果は、文化の継続性の強さに関する最近の一連の研究と整合的である、と述べている(…できればこうした継続性は願い下げにして欲しい気もするが…)。