コント:ポール君とグレッグ君(2011年第1弾)

久々にマンキューがクルーグマンに噛み付いた*1

グレッグ君

ポール君が次のように書いている

重要なのは、民主主義は、反対者に対し嘲笑や非難を浴びせる人々を許容する半面、必要ならばあらゆる手段を用いて反対者を議論の場から取り除くことを示唆するような粛清論的言辞は許容しない、ということなんだ。
そして、高まりつつある暴力のうねりの背後にあるのは、政治的議論――とりわけ放送電波に乗っているもの――が粛清論的言辞に満ち満ちていることである。
そうした有害な言辞を発信しているのは誰か? バランスの取れた見方をするふりはやめよう。そうした発信者の圧倒的多数は右派である。民主党議員が「武装して危険になれ」と促して、追放処分を受けないとは考えにくい。


一方、2008年のWSJ記事

やくざの出入りでは、銃撃戦にナイフを持って駆けつけるな、という箴言がある。しかし、ナイフでの闘いに銃を持って駆けつけることに関して、何か政治的箴言はあるのでろうか?
バラク・オバマは、共和党への反撃に際してまさにそう述べた。「彼らが闘いにナイフを持ってくるならば、我々は銃を持って来よう」とオバマは金曜晩のフィラデルフィアでの資金集めパーティーで言ったのだ。「フィラデルフィアの人たちは見応えのある喧嘩が好きだと聞いているので。」


このオバマという奴はその後どうなったかな? ポール君が言うように、追放されたのだろうか? 僕の見解はこうだ:我々は、犯した罪ゆえに人を非難すべきだし実際そうしているが、比喩的表現ゆえにそうすべきでは無い。


一般論としてはマンキューは正しいと思われるが、一方のクルーグマンは、米国のそうした言論が一般論を超えて危険水域に入りつつある、と捉えているようである。どちらが正しいかは部外者には俄かに判断がつきかねるところであるが…。

*1:内容の深刻さに鑑みて、タイトルに「コント」という表現を使うのはやや躊躇われたが、記事一覧からの検索用の符丁ということでご容赦。