退屈な中央銀行

Nick Roweカナダ銀行FRBを対比させながら、金融政策のルールと裁量について論じている。
以下その抄録。

I just can't get interested in the Bank of Canada right now. I can only think about the Fed. The Bank of Canada is just too boring. Which it should be.
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The Bank of Canada raised the overnight rate to 1.00% on Wednesday. I think that was a mistake. If I were sure it were a mistake, and if I could prove it, or if I thought it mattered a lot, I would write a post on it. But I don't, can't, and don't; so I won't.

It's not just that Canada seems (touch wood) to be recovering from the recession and the US isn't. Nor just that Canada is boring and America exciting. It's because of a very old debate in monetary policy: rules vs discretion.
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The Bank of Canada is boring because I already know its strategy. I know what it is trying to do. The Fed is exciting because I don't know what it is trying to do. Non-economists know better what the Bank of Canada is trying to do than expert Fed-watchers know what the Fed is trying to do. The Bank of Canada is targeting 2% inflation; everyone knows that. Fed-watchers don't know the Fed's target. It's a bit like Kremlinology in the old days.

The Bank of Canada is following a rule; the Fed isn't.
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The rules vs discretion debate took a wrong turn during the arguments over the "monetary policy ineffectiveness proposition" in the 1970's. It was really a debate over whether simple rules could do as well as more complex feedback rules, not over rules vs discretion. That became clearer with hindsight. But very complex feedback rules, where it is hard to specify in advance what you would do in every possible circumstance, look a lot like discretion.
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Inflation targeting wasn't something dreamed up in academic seminars. It came out of the central banks themselves, and their interactions with governments. But it turned out to fit right in with the rules vs discretion debate.
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Because people know where the Bank of Canada wants the economy to go, and believe it will get it there eventually, small tactical mistakes (if that's what they are) by the Bank of Canada really don't matter very much. They have very little effect on people's expectations. They aren't really worth blogging about. David Beckworth shows how expected inflation in the US has been falling a lot over the past 8 months. People don't know where the Fed wants the economy to go, and keep on revising their expectations down. Fed-watchers don't know either.

That's no way to run monetary policy. We can argue about what the Fed's target should be, and about what tactics would best hit that target. But it ought at least say what its target is.


(拙訳)
今現在、僕はカナダ銀行にまったく関心が持てない。興味があるのはFRBのことだけだ。カナダ銀行はまったくもって退屈過ぎる。そしてそれはそうあって然るべきなのだ。
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水曜日にカナダ銀行はオーバーナイト金利を1%上げた。僕はそれは間違いだと思う。もし僕がそれが間違いだと確信していて、それが間違いであることを証明できる、もしくは、それが大いに問題だと思っているならば、それについてブログエントリを書くだろう。しかし僕は確信していないし、証明できないし、大ごとだと思っていないので、書かない。


問題は、カナダが(幸運にも)不況から回復しつつある一方で、米国がそうではないことだけにあるのではない。カナダという国が退屈で、米国が刺激に富んでいる、ということだけでも無い。問題は昔からの金融政策の議論の的、即ちルール対裁量にあるのだ。
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カナダ銀行が退屈なのは、僕がその戦略を既に知っているからだ。僕はカナダ銀行が何をやろうとしているのか知っている。FRBが刺激的なのは、何をやろうとしているのか分からない点にある。FRBウォッチャーの専門家がFRBのやろうとしていることについて知っていることに比べると、非専門家の方がカナダ銀行のやろうとしていることについて良く知っている。カナダ銀行は2%のインフレ目標を目指しており、誰もがそれを知っている。FRBウォッチャーはFRBの目指しているとことを知らない。それはかつてのクレムリノロジーみたいだ。


カナダ銀行はルールに従っている。FRBはそうではない。
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ルール対裁量の議論は、1970年代の「金融政策の無効命題」を巡る議論によって、間違った方向に進んでしまった。その議論の本当のテーマは、単純なルールが、もっと複雑でフィードバックを取り込んだルールと同じくらい機能するか、という点にあったのであり、ルール対裁量にあったのではない。そのことは後になって分かった。しかし、非常に複雑なフィードバック込みのルールは、あらゆる状況下で何をするかを前以ってすべて特定できない限り、裁量とあまり区別できない。
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インフレ目標は、学界のセミナーか何かで創り上げられたものではない。それは中央銀行自身、および中央銀行と政府との相互作用によって生み出されたのだ。しかしそれは、ルール対裁量の議論にぴったりと当てはまることが分かった。
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人々はカナダ銀行が経済をどこに持っていこうとしているか知っており、かつ、最終的にはそれを達成すると信じているので、カナダ銀行の小さな戦術的誤り(があるとしても)は大した問題にはならない。そうしたことは人々の期待に大して影響しないし、ブログで取り上げるほどのことでもない。デビッド・ベックワースは過去8ヶ月間に米国の予想インフレ率が下落し続けてきたことを示した。人々はFRBが経済をどこに持っていこうとしているか分からず、期待を下方修正し続けている。FRBウォッチャーも同様に分かっていない。


これは金融政策を実施すべき方法とは言えない。FRBの目標がどこにあるべきか、それに到達するための最良の戦術は何か、について議論が起こるのは良い。しかし、少なくともFRBは自らの目標を明らかにするべきだ。


この伝でいくと、日銀もFRBと同じくらい(あるいはそれ以上に)「刺激的」ということになるのだろう。しかし本来は、人々の念頭に上らないくらいの存在であるべき、というのがRoweの主張である。ルールベースの政策が徹底した結果、中央銀行のトップは、P.K.ディックの「待機員」か、あるいはそこまで行かなくても暇議長ないし暇総裁くらいの存在になる、というのが理想なのだろう。


ちなみにコメント欄では、こちらを忘れてもらっちゃ困る、として以下のコメントが付いている。

You North Americans, you forget us Downunder. The Reserve Bank of Australia is every bit as boring as the Bank of Canada! And that is a good thing.
(拙訳)
君たち北米人は、下の方にいる我々のことをお忘れのようだ。オーストラリア準備銀行はカナダ銀行とまったく同じくらい退屈でっせ! そしてそれは良いことなんだ。

これに対しRoweは、忘れていないし、自分の文章は、カナダ銀行→オーストラリア準備銀行&2%→2.5%と置き換えればそのまま成立する、と応じている。また、メキシコ中央銀行&3%±1%としても同じだ、と書いた上で、この±1%というのは大した意味を持たない、というのは中心の値を目指さない限りそのレンジ内に収めることはできないからだ、と書いている。その上で、こうした各中央銀行の戦術が不確定だとしても、戦略は確定している(Only the tactics are uncertain, not the strategy)、ということを強調している。



なお、以前、金融安定化策に関するルール対裁量の話を取り上げたことがあったが、これについてRoweは、カナダ中央銀行FRBと差が無いことを本文の最後で認めている。

Of course, when the Bank of Canada acts as lender of last resort, rather than doing monetary policy in the narrow sense, it's just as bad as the Fed. There are no rules; it's all discretion.
(拙訳)
もちろん、カナダ銀行が、狭義の金融政策を実施するのではなく、最後の貸し手として行動する時には、FRBと同じくらい悪くなる。ルールはまったくなく、すべて裁量だ。