日本の比較劣位産業?

イースタリーが面白いことを書いているので、以下に訳してみる(Economist's View経由)。

経済学は国は専門に特化せよという…経済学への特化を含めて
(Economics tells countries to specialize…including specializing in economics)

経済学で最も権威があり、かつ、私見によれば最も強力な富の創造をもたらす概念は、専門への特化による利得ならびに交易による利得を説く比較優位の考え方だ。周知の通り、国によって得意分野は異なる。スイスはチョコレートを提供してくれるし、ドイツはビール、フランスはワイン、そして英国は…ええと、英国は…、ええと、ええと…。


ああ、そうだ、そもそも英国こそ、比較優位と専門への特化や交易による利得という概念を提供してくれた国だった!


こうしたことを考え付いたのは、将来の経済学博士を目指す学生に対し経済学部ランキングに基づいて行き先を助言したマンキューのブログエントリを読んだためだ。ランキングの一つは全世界を対象にしていて、世界の中でどの経済学部が最も良いかを教えてくれる。米国が経済学の大学院課程で良いのはもちろん私も承知している(米国の得意分野は2つだけで、もう一つはハリウッド映画。ということで、この件で我々を妬まないように)。英国について言えば、かつての経済学の代名詞だった時の勢いはないが、依然として良い。私が特に驚いたのは、カナダとオーストラリアの好成績だ(図参照)。つまり、世界のトップクラスの経済学の90%近くが4箇所に集中していて、英国以外のところはいずれも英国の植民地だったところだ。


アダム・スミスの子孫は依然として影響力が大きい…*1




このイースタリーの考え方を適用すると、経済学は明らかに日本の比較劣位分野なので、そこは上記4ヶ国に任せて撤退し、従来経済学に投入してきた資源を他の得意分野に振り向けるべし、ということになる。構造改革派的な言辞を弄せば、優秀な数学の能力を持つ人々が経済学という日本の比較劣位分野に塩漬けにされているのを解放し、理工系の分野に振り向けるべき、というわけだ。

日本の経済学のトップブロガーである池田信夫氏も以前このテーマについて

先週、発表されたQS.com のランキングによると、東大はアジアで3位だそうだが、世界ランキングでは19位。日本の大学は100位以内に4つしか入っていない。

それでもこれは理科系が強いからで、経済学部ランキングでは東大は世界の118位で、200位以内に他の大学は入っていない。

と書いており、日本の学問分野における比較優位と比較劣位の構造が明確になっていることを指摘している。


ただ、池田氏は同時に

これは日本の経済学者の能力が低いからというより、新古典派経済学が普遍的な科学ではなく、米国ローカルの「お話」だからだと思う。・・・しかし経済学は臨床医学みたいなものだから、国際学会で美しい論文を発表するより、日本経済の問題を診断して政策を処方するほうがずっと大事だ。

とも書いている。しかし、氏の支持するような構造改革派の見方からすると、90年代以降の日本の経済問題は、日本の経済学が提供した処方箋や、一国の経済学の良心とも称される中央銀行の問題ではなく、民間部門の全要素生産性の低下と、政府の過剰な介入の結果である、というように既に結論が出ている。その見方を敷衍すると、この問題について経済学者に残された役割は、“生産性を上げよ、規制を撤廃せよ”とその結論を世に説いて回る説教師くらいしかない。そう考えると、やはり、現在の経済学に投入されている資源を解放して、それをもっと生産性の高い他の分野に回す、というのが経済学の示唆するところの経済学の進むべき道のように思われる。いわゆる“walk the talk”というのはまさにそうしたことを指すのだろう。


たとえば、(構造改革派の筆頭である林文夫氏が最近赴任した)一橋大学のキャンパスを1/3くらいに縮小して、残りを山中教授のiPS細胞の研究施設として提供する、というのはいかがだろうか? そこまですれば、世間も、“ああ、経済学者というのは言葉だけでなく自らの学問の結論を実践する人々なんだ、彼らの言うことにもっと真剣に耳を傾けよう”という気になるかもしれない。



P.S.
一応断っておきますが、本エントリには「ネタ」タグを付けています。

*1:[2017/7/1]リンク先をhttp://aidwatchers.com/wp/wp-content/uploads/2010/03/econ-dept.pngから修正。