What we’ve got here is a failure to communicate...

21日エントリで紹介したRoweのモデルについて、彼のエントリのコメント欄でRoweおよびAdam Pと少しやり取りをしてみたので、その内容を補足してみたい。


まず、モデルの3つのケースのうち「●人々が実質債券価格を中銀の政策目標として認識していた場合」について、小生の21日エントリの注3で導出した解をRoweに提示してみた。すると、ここで中銀が政策目標として維持する実質債券価格RをR=1/(1+n)ではなくR=P*/(1+n)としたらどうなるか、という問いを投げ掛けられた。
この新しいRの式を、(事前の)実質金利rの式
 R=P(1+E(π)) / (1+r)
に当てはめると
 n-r = (1+n){1-(P/P*)(1+E(π))}
になるので、注3で示した解はPを(P/P*)で置き換えたものになる。すなわち、
 π={0.25(1+n)(1-(P/P*))+0.5πt-1} / {0.5+0.25(P/P*)(1+n)}
となる。
Roweが上の問いを投げ掛けたのは、P*、すなわち物価の最終目標を十分に高くすれば、前期のインフレ率πt-1がかなりのデフレでも、今期のインフレ率πを直ちにプラスに転化できるのではないか、と考えたためであった。
実際、この導出結果からは(簡単のためn=0を仮定すると)

  • πt-1=-10%ならばP*>1.25P
  • πt-1=-20%ならばP*>1.67P

とおけば、πはプラスになり、デフレから直ちに脱出できることになる(ただし、πt-1≦-50%の場合は、いかにP*を高く取ってもπはプラスにできない)。


次いで議論の話題になったのは、「●人々が名目債券価格を中銀の政策目標として認識していた場合」についてである。
もし上記のように実質債券を高く買い取ることによって流動性の罠を脱することができるならば、名目債券についても同じことができるのではないか、とAdam Pがコメントした*1
実際、Roweはi=nという極端な政策目標ケースを当てはめて、毎期デフレ率が倍加するという結論に達していたが、もう少し穏やかな政策目標では違った結果が得られる。
たとえば、Rowe流のテイラールール
 i = n + E(π) + a(E(π)-π*)
をIS-PC式に当てはめると、以下のようになる。
 π=0.25(n-i+E(π)) + 0.5πt-1 + 0.5E(π)
   =0.25(-aE(π)+aπ*) + 0.5πt-1 + 0.5E(π)
   =0.25aπ* + (0.5-0.25a)E(π) + 0.5πt-1
合理的期待形成によりE(π)=πを仮定すると
 π={0.25aπ*+0.5πt-1} / {0.5+0.25a}
すなわち、a>0ならばπt-1の係数は必ず1より小さくなり、デフレスパイラルは生じず、逆にデフレが収束していくことになる。また、目標インフレ率π*を十分に大きくすれば、前期のインフレ率πt-1がかなりのデフレでも、今期のインフレ率πを直ちにプラスに転化できる。


ただ、ここで小生が気になったのは、流動性の罠の下では上のテイラールールは守ることができない、という点である。Roweのテイラールールでは、π*をあまり高く取ると、iがマイナスになってしまうからである。
従って、流動性の罠の下では、Roweのテイラールールにおいて、a=0か、もしくはa<0とした式を考えるべきではないか、と思われる。
ここでa=0とは、デフレ期待が存在しても、ゼロ金利制約のために、(テイラー原理に反し)その予想デフレ率と同じ幅でしか金利を引き下げられない場合に相当する。この時の名目金利決定式は
 i = n + E(π)
となる。
また、a<0とは、(同じくテイラー原理に反し)予想デフレ率より小さな幅でしか金利を引き下げられない場合に相当する。この時の名目金利決定式は
 i = n + (1+a)E(π)
となる(注:この場合は目標インフレ率はもはやあまり意味が無いので、式から外した)。
そうすると、a=0の時は、π=πt-1 となるので、前期がデフレならば、それがずっと続くことになる。
a<0の時は、π=πt-1 / {1+0.5a} となるので、前期よりデフレが拡大するというデフレスパイラルに陥ってしまう(a=-1の時がRoweが最初に示したデフレ率が毎期倍増するケース)。


つまり、名目債券価格ないし名目金利を政策目標の枠組みにしている場合、名目金利がゼロに到達した途端、僕あと知らない、という態度を中銀が取ると、デフレが放置され、場合によっては悪化してしまうわけだ。社会としてはもう少し中銀に頑張ってもらいたいところではあるが、名目金利が政策目標という社会的合意の枠組みがある以上、その政策目標が終点に達したのだからやるべきことはやった、という中銀の言葉*2を肯わざるを得ない。


これに対し、インフレ率、もしくは実質債券価格ないし実質金利を政策目標にする枠組みの下では、名目金利がゼロになっても、目標が達成されていないことは明らかである。従って、中銀が努力を継続するよう社会的圧力が働き、中銀もそれに応えようとする。Roweが金融政策の社会的文脈が重要と言うのは、一つにはこうした点においてである、と解釈できる。


小生は、コメントで、前者の中銀を弾薬が尽きた途端に戦闘を停止する軍隊、後者の中銀を弾薬が尽きても剣や素手で戦闘を継続しようとする軍隊に喩えた。すると、Roweから以下のような反応をもらった。

I like your army metaphor. I would change it slightly though. At one level, an army is just a bunch of guys with guns and ammo. But an army that thinks of itself as an army can beat an army 10 times the size that thinks of itself as just a bunch of guys with guns and ammo. And the whole point of basic training, military parades, uniforms, etc., is to get a bunch of guys with guns and ammo to think of themselves as an army (or division, platoon, whatever). Generals know that an army is a social construction, and spend a lot of effort trying to build that social construction. And it matters because of expectations, as you say. If the soldiers think of themselves as just a bunch of guys, they expect the others will run away, and it becomes a self-fulfilling prophecy. If they think of themselves as an army, they expect the others to stand and fight, and they do stand and fight.


Another game theory analogy is that of a focal point in a game with multiple equilibria. A change in framing changes the focal point, and changes the equilibrium we actually observe.

Worthwhile Canadian Initiative: Deflationary death-spirals and the social construction of monetary policy

(拙訳)
貴君の軍隊の比喩は面白い。ただ、少し手を加えて次のように考えてみたい。ある段階では、軍隊というのは銃と弾薬を持った連中の集まりに過ぎない。しかし、自分を軍隊と考えている軍隊は、自分を単なる銃と弾薬を持った連中の集まりと考えている集団を、たとえ10倍の人数だったとしても打ち負かすことができる。軍隊の基礎訓練、軍事パレード、軍服といったことのすべての目的は、銃と弾薬を持った連中の集まりに対し、自分たちは軍隊(もしくは師団、小隊、等々)だという意識を持たせることにあるのだ。将軍達は、軍隊というのが社会の一員であることを知っており、その社会の一員としての地位を構築するために多大な努力を払う。というのは貴君の指摘する通り、期待が問題になるからだ*3。兵隊達が自分達を単なる銃と弾薬を持った連中の集まりと考えれば、他の集団もそんなもので、弾薬が尽きれば敗走するものと期待し、それは自己実現的な予言となる。もし彼らが自分達は軍隊だと考えれば、他の集団も軍隊であって戦い抜くものだと期待し、自らもまた戦い抜こうとする。


ゲーム理論の比喩を使うならば、これは、複数均衡を持つゲームでのフォーカルポイントということになる。社会的枠組みの違いがフォーカルポイントの違いをもたらし、我々が実際に目にする均衡を変えるのだ。


また彼は、同じコメントの中で、カナダ銀行総裁のマーク・カーニーが講演の中で「プリズム」という言葉を使ったことを指摘したコメントに対し、以下のように返答している。

"prism" is a good word to convey how the bank frames what it is doing. But I think "communications strategy" is a better word for how the bank tries to influence others' framing of what it is doing. Of course, the bank generally wants its prism and communications strategy to be mutually consistent (it's hard to think of what you are doing in one "language", but use a different "language" to explain to others what you are doing.

(拙訳)
「プリズム」というのは、中銀が自分の行なっていることの枠組みを相手に伝えるのには良い言葉だ。しかし、中銀が自分の行なっていることを相手にどういう枠組みの中で捉えてほしいかを表すには、「コミュニケーション戦略」という言葉の方が適切だと思う。もちろん、中銀は通常、そのプリズムとコミュニケーション戦略の双方が矛盾しないことを望んでいる(自分が行なっていることをある「言語」で考え、それを他者で説明する際に別の「言語」を使うというのは困難だ)。


果たして日銀の「プリズム」と「コミュニケーション戦略」は今どうなっているのだろうか…。

*1:Adam Pはその上で、名目/実質どちらの債券にせよ、高く買い取って名目/実質金利をマイナスにするのは困難だ、従ってここでのRoweの名目/実質の政策枠組みの区分はあまり意味が無いのではないか、と批判している。

*2:cf. ここでの白川氏の言葉。

*3:その前のコメントで小生は、軍隊がどちらのあり方を採るかは社会の期待に左右されるのではないか、と書いた。