人口とGDP

ちょうど1年前に、実質GDP消費投資との散布図を描いて、90年以降の日本経済が壁にぶつかったような動きをしていることを示した。今度は、GDPと人口の関係を見てみようかと思う。


今回、人口と経済の関係を改めて考えてみようと思った理由は、以前書いたように、日本の場合、やはり問題の根源は人口減にあるのではないか、という問題意識が元々あったのに加えて、人口増こそデフレ脱却の正攻法というJBPressの上野泰也氏の論説を読んだことや*1、高齢化による今後の一層の財政悪化を憂う岩本康志氏のブログエントリを読んだことによる。


まず、名目GDPと人口の関係を見てみよう。
(ここで実質ではなく名目の方を最初に取り上げるのは、8/19エントリで書いたように、現下の状況では、名目GDPならびにその成長率こそ経済指標として相応しいのではないか、と小生が最近考え始めたことによる。また、岩本氏の前のエントリに8/14エントリで疑念を呈した時に書いたように、債務残高のGDP比率の増大を問題視するならば、分子の債務の増加よりも分母の名目GDPの低迷を問題にすべきではないか、と考えていることもある。さらに付け加えるならば、名目GDPが今年度に中国に名目GDPが追い抜かれることや、2009年4-6月期の名目GDP17年前の水準に戻ってしまったことも背景にある。)


下図は、名目GDP成長率と、総人口、就業人口の成長率を描画したものである*2

これを見ると分かるとおり、総人口の伸び率低下と概ね軌を一にして名目GDPの伸び率が低下している。就業人口の伸び率も同様であるが、そちらは年ごとの変動が激しく、総人口の伸び率ほど関係が明確ではない。なお、右軸の名目経済成長率の軸目盛りは、左軸の人口成長率の軸目盛りの10倍に設定したが、そのことから、名目経済成長率は総人口成長率のおよそ1/10の水準にあることが分かる。


次の図は、名目GDPと総人口のそれぞれ常用対数を取って、散布図を描いたものである。

線形近似の線と式も付けたが、傾きの係数は11.055となっており、前の図で目算した通り、名目GDPの伸びは人口の伸びの概ね10倍になっていることが分かる。
グラフの右端を見ると、近年の両成長率の低下を反映して、やや詰まった感じになっている。また、トレンド線より下に折れ曲がった感じになっている。
そうした最近の傾向は、この図の回帰式による予測値と、実際の名目GDPを並べて描画してみると、よりはっきりと確認することができる。

これを見ると、人口の伸びが止まった2004年以降の予測値はフラットになっている。しかし、実際の名目GDPはそれ以前に伸びが止まってしまっており、1997年には予測値に逆転されている。現在では両者の差がほぼ100兆円にまで達している。1997年と言えば山一破綻などの金融危機のあった年であるが、ちょうどその年が境になっているのが興味深い。
この図を単純に解釈すると、1997年の金融危機に端を発した経済低迷が無ければ、現在の名目GDPは100兆円高かったことになる。


では、就業人口ベースで見るとどうなるだろか? 次の2つの図は、上の2つの図を総人口の代わりに就業人口ベースで描き直したものである。


これを見ると、就業人口ベースの名目GDP予測値は、バブルが崩壊した1990年に実際の名目GDPを逆転している。そして1997年に750兆円のピークを付けた後、2003年には実際の名目GDPの値近くまで低下している。その後の景気回復で両者の乖離は再び広がったが、2007年以降はまた縮小している。


大雑把に言って、総人口は経済における需要、就業人口は供給を表すものと解釈できる。すると、以上の分析から、以下のような考察が得られる(もちろん、イン・サンプルの予測値による考察という制約付きであるが)。

  • 1973年の石油危機から1990年のバブル崩壊までは、就業人口ベースの名目GDP予測値は、実際の名目GDPを大きく下回った。一方、総人口ベースの名目GDP予測値は、それほど実際の名目GDPと乖離していない。これは、この期間は供給に比べて需要が大きかったことを示している。事実、この期間は多くにおいてインフレが問題になった時期であった。
  • 1990年のバブル崩壊を機に、就業人口ベースの名目GDP予測値が実際の名目GDPを上回った。これは、経済が需要過剰から供給過剰の体質に転じたことを示している。従って、その後は雇用の過剰、そしてデフレが問題になるようになった。しかし、それでも1997年の金融危機までは、そのデフレ圧力が明確化するには至らなかった。
  • 1997年に、遂に供給も腰折れし、就業人口が減少に転じた(もちろん高齢化の進展もその一因にはなっているが)。それは、この年以降に、総人口の推移で説明できる以上に需要が低迷したことが一つの大きな要因になっていると思われる。その後、2003年以降に量的緩和や溝口介入の効果もあって需要の下押し要因がやや取り除かれ、就業人口も回復に転じたかに見えたが、2007年以降にサブプライム問題の影響を受けて、再び減少している。


もちろん、上記はケインジアンないしリフレ派寄りの解釈である。シカゴ派ないし構造改革派寄りの解釈をすると、以下のようになろうか。

  • 1973年の石油危機から1990年のバブル崩壊までは、実際の名目GDPは、就業人口ベースの名目GDP予測値を大きく上回った。これは、ケインズ政策の誤った適用によりインフレが定着し、名目GDPが高めになったためである*3
  • 1990年のバブル崩壊を機に、実際の名目GDPが、就業人口ベースの名目GDP予測値を下回るようになった。これは、週休二日制の導入等で就業人口当たりの生産性が低下したことを示している。
  • 1997年に、就業人口が減少に転じた。これは、構造改革を怠って生産性の低下を放置したため、経済全体に悪影響が及んだものである。即ち、ゾンビ企業の存在や硬直的な労働市場が、経済が本来の水準で稼動することを妨げた。小泉改革でそれが少し回復したが、その後の改革巻き戻しやサブプライム問題の影響を受けて、2007年以降は再び減少している。


どちらの解釈が正しいのだろうか? それを探る手掛かりとして、上の4つのグラフを実質GDPについて描いたものを以下に示す。



これを見ると、総人口ベースの実質GDP予測値については、名目GDPで見られたような実測値との大幅な乖離は見られない。2005年以降は、むしろ実測値の方が予測値を上回っている。とすると、1997年以降のデフレなかりせば、名目GDPにおいても総人口ベースの予測値との大幅な乖離は発生しなかったのではないか、という推測が成り立つ。もし名目GDPがそのような成長経路を辿っていたら、財政赤字や政府債務の状況を含め、現在の経済が今よりももっと望ましい形になっていたことは想像に難くない。その意味で、デフレを問題視したリフレ派の意見はやはり正鵠を射ていたように思われる。
また、就業人口ベースの実質GDP予測値と実測値を比較すると、バブル崩壊と同時に予測値が実測値を超えたのは名目GDPの場合と同様であるが、小泉改革の始まる前にその供給過剰はほぼ収束し、2002年以降は実測値の方が予測値を上回っている。このことから、生産性に問題があったとしても、それは2000年代初頭に解消していたので、やはりデフレで名目GDPが下押しされていたことの方がより大きな問題だったのではないか、という見解が成立しそうである。

*1:この辺りは、上野氏のVoice記事も含めて、田中秀臣氏の論考が詳しい。

*2:名目GDPは8/14エントリで使用した国民所得に同じ。総人口のソースはこちら、就業人口のソースはこちら

*3:これについては、この期間の生産性が比較的高かったことも、名目GDPが就業人口から予測されるよりも高くなったことに寄与した、という推測も可能である。実際、後述の実質GDPのグラフにおいても、この期間は実際のGDPの値が予測値を上回っている。