コント:ポール君とグレッグ君:ザ・ビギニング (&2009年第9弾)

マンキューがブログの7/25エントリで、This Young Economistというブログのエントリにリンクしている。そこでは、マンキューとクルーグマンの一連の論争でどちらに軍配を上げるか、という投票を募っている。
また、そこでは、本ブログで最初に紹介したものより前の2人の軋轢のエピソードも取り上げられていた。マンキューとクルーグマンの衝突の出発点を探ると言う意味も込めて、以下にその内容を紹介する。

何がポール君に起きたのか?

2005年5月24日Outside the Beltwayインタビュー記事でのグレッグ君


ポール君はNYTコラムで知ったかぶりを噛ます時があるね。一例が、僕のワシントンでの前任者、グレン・ハバードが追い出されたかのような書き方をした時だ。実際にはそうではなく、グレンが僕を推薦したんだ。
ポール君はMITでの僕の先生だった。82年と83年に僕がCEAのジュニア・スタッフだった時、彼とサマーズはシニア・スタッフだった。その時は彼は素晴らしい経済学者で、僕は彼がノーベル賞を取るだろうと思ったんだよ。今でもその可能性は十分にあると思うけどね。彼の初期の国際貿易理論の仕事は確かにそれに値する。
でもその後に話がおかしくなった。彼はNYTのコラムニストになった時、経済学者として経済学について書くのをやめたんだ。彼がリベラルなのは結構なことだ。僕のハーバードの友達の多くもリベラルだしね。ただ、誰かが彼に同意しない時、彼はまずその人を嘘つきか馬鹿だと決めつけたがる。学界の人間がそんなふうに振る舞うというのは僕には驚きだ。僕が学界について良いことだと思っていることの一つが、先入観が無いこと、すべての考えとすべての観点が考慮に値するという前提に立っていることだからね。誰も真実を独占できないし、良き教授であることの一つの大きな特徴は、すべての見方に偏見なく接することなんだ。
ポール君はコラムニストとしての人気を得るために、トークショーのジェリー・スプリンガー方式を採用したんだと思うよ。読ませるために、物事を大袈裟に書き立てる、というようにね。ただ、本来の経済学者は、「一方では」「もう一方では」というように退屈な読み物を書くものなんだけどね。


(インタビュアー:少なくともクルーグマンはワシントンの実力者が彼の記事を読んでいたことが確認できたわけだ)



エディ君対ポール君

2006年7月15日のグレッグ君ブログエントリ


エディ・ラジアーCEA委員長が、所得の不平等について、教育や訓練でより多くの技術を身に付けた者への見返りが高まっている、と2006年5月に言ったんだが、昨日のコラムでポール君が、その考えは神話に過ぎない、と噛み付いている。
でもジョン・ベイツ・クラーク賞を取ったダロン・アセモグルも同じようなことを言っているし、その考えは経済学者の間でコンセンサスになっていると思うんだけどな。
まあ、確かに、所得の不平等は、測定誤差のほか、労働者全体が高齢化・高学歴化したことにより所得分布の広がりが大きくなったためにもたらされた、という最近のThomas Lemieuxの研究もあるけどね。


追記:コメントで教えてもらったけど、2005年版のポール君とロビン・ウェルズのミクロ経済学の教科書にも、急速な技術進歩が、技術や才能を持つ労働者への需要を増やした、と書いてあるね。その後ポール君は考え方を変えたのかな。だとしたら、少し前まで自分が信じていたことを信じているからといってエディに当たるのはいかがなものかな。
それとも、ポール君が言っている技術とは生まれながらの才能のことで、エディが言っているのは後から身につけた技術のこと、というように両者を区別して考えているのかしらん。これは僕の当て推量だけど。


追記2:ブラッド・デロングがポール君の考えていることの説明を試みている。それによると、問題は1980年以降の上位1%への所得の集中であり、それは技術に対するプレミアムで説明できるものではない、とのこと。
ただ僕は、やはりその上位1%の大部分も、高い技術で高所得を得た医者や弁護士やMBAのような人たちだと思う。多分、教育への見返りの非線形性が高まっているのだろう。Lemieuxが報告したように、それによって同じような教育を受けた人たちの間でも所得の分散が大きくなったんだろうね。その辺にポール君とラジアーの考えの違いを解く鍵がありそうだ。



最後に、現在に話を戻して、直近の二人のやり取り。

2人の考えの違いの根幹にあるもの

2009年7月25日のグレッグ君ブログエントリ

ポール君は医療問題に関するエントリで、「HMOのような利益追求の組織ではコスト効率性が追求できないだろう、というのは、そうした組織は、自分たちの治療費が彼らにとっては費用になるということで、人々の信頼を得ることができないからだ」と書いた。
これを読んで考えさせられた。結局、医療改革やら他の政治問題やらでの2人の考えの違いの根幹にあるのは、どういった組織を信頼するか、ということなんだろうね。僕は競争にさらされている組織の方を信頼する。その点では、連邦政府より州政府の方がまだましだ。語学が得意でない僕にとっては、国を移るより州を移る方が簡単だからね。そして、私企業は大部分が競争にさらされているから、僕にとってはより安心できるんだ。
しかしポール君は連邦政府の方が好きみたいだ。でも不思議なのは、過去8年間、彼は共和党が馬鹿で腐敗していると読者に説いてきたことだ。何だかんだ言って、今後も、共和党が政権に就く期間が半分はあるだろう。彼は本気で医療制度を、彼が馬鹿で腐敗していると見なしている組織に委ねるつもりなのかね?
こういう一般的な考えというのはすぐに何かの提言に結びつくわけじゃないけど、どの組織を信頼するか、という問題が根幹にあることに気付かせてくれたポール君には感謝しなくちゃいけないね。