民主党の最低賃金を1000円に引き上げる構想が波紋を呼んでいる。
論壇では、山崎元氏が、民主党の政策は大幅な失業増を招くとして批判的である。この山崎氏の批判についてはすなふきん氏も大いに同意している。
一方、EU労働法政策雑記帳の濱口桂一郎氏は、一気に1000円に持っていくのは無理と断りつつも、その方向性に基本的に賛意を表し、山崎氏の見解に反対の姿勢を見せている。また、勝間和代氏は、今年初めの毎日新聞HP上の「クロストーク」で既に同様の提案をしている。
こうした最低賃金の経済学的論点については、「日本労働研究雑誌」での大竹文雄氏と橘木俊詔氏の対談において網羅的にまとめられている。そのほかの参考になるサーベイとしては、日本総研のレポート、青学の金本俊佑氏の卒業論文、高崎経済大学論集の石井久子氏の論文をネットで読むことができる。
純粋に経済理論的な立場から言うと、マンキューが2006/12/26のブログエントリで指摘した通り、最低賃金の引き上げは非熟練労働者の雇用者への増税と等価であり、意味が乏しい。
反面、米国の実証研究では、最低賃金引き上げが理論に反して雇用を増やしたというカード=クルーガーの有名な報告もある*1。クルーグマンは、11年前にはこの実証結果に懐疑的で、それが最低賃金引き上げ推進の根拠に使われることへの警戒感を露わにしていたが、その後は擁護派に転じ、最近では自ら最低賃金引き上げを唱えるようになった。
また、豪州でも、ジョン・クイギンやビル・ミッチェルが最低賃金を擁護する論陣を張り、その実質値を維持するために名目値を引き上げていくべき、と主張している(クイギンは、最低賃金を、CPIではなく賃金の平均ないし中位値にインデキシングすべきと主張している)。
クルーグマン、クイギン、ミッチェルらが最低賃金を積極的に推進する根拠は、反対派が懸念するような労働需給への悪影響が実証的には大して見られない半面、所得再配分効果が大きいことにある。
日本では、上述の対談で大竹氏も指摘している通り、データ整備や研究が外国に比べ遅れていて、実証に基づく議論が進んでいない。そこで以下では、取りあえず現在入手できるデータから簡単な分析を試みてみた。ヒントになったのは、前述のミッチェルのブログエントリで示された実質最低賃金と失業率の散布図で、その図からは、両者がほぼ無相関であることが読み取れる。なお、ミッチェルは時系列データを使用したと思われるが、日本には都道府県別データがあるので、それを利用して以下に同様の図を描いてみた。
(失業率は総務省の推計値(平成20年平均)、最低賃金は平成20年10月改定前の平成19年度の値)
これを見ると、ミッチェルの図と同様、最低賃金と失業率は無関係と言えそうである(回帰係数はむしろマイナスになっている。ちなみに相関係数は-0.282)。
ただし、ここで注意すべきは、都道府県には生活費の水準に差があり、最低賃金もそれを勘案して決定されている点である*2。実際、以下に見られるように、各都道府県の平均賃金と最低賃金は高い相関がある(相関係数=0.906)。
(平均賃金はこの表の所定内給与額を所定内実労働時間数で割って求めた)
そこで、最低賃金を平均賃金で割って生活水準の差を基準化し、それと失業率の関係を描画してみたのが下図である。
これを見ると、基準化した最低賃金と失業率に正の関係が見られる(回帰係数8.9647のt値は1.92、p値は0.06)。回帰式によれば、最低賃金の平均賃金に対する比率が10%上昇すると、失業率は0.9ポイント弱上昇することになる。
平均賃金の都道府県平均は1640円であり、民主党の唱える最低賃金1000円はその約6割に相当する。現在の最低賃金は4割程度なので、上図の関係式を単純に当てはめると、民主党案では1.8ポイント程度失業率が上昇することになる。
しかし実は、上図で最も失業率の高い2県(沖縄と青森)を除くと、その正の相関関係は以下のように消えてしまう。
従って、前述の正の相関関係は頑健とは言えず、最低賃金引き上げが失業率を上昇させると言い切るのは、平均賃金で基準化したとしても少し難しいことが分かる。
また、総務省の都道府県別失業率では、平成21年1-3月期のデータが既に出ているが、その前年同期比と、昨年10月の最低賃金増額幅の関係を見たのが下図である。
今回の世界金融危機を反映して、和歌山県を除くすべての都道府県で失業率が上昇したが、その地域差に最低賃金の年度改定のバラツキが与えた影響は皆無と言って良いことが分かる。
以上の大雑把な分析からは、最低賃金引き上げによる失業率の上昇は、諸外国の実証結果と同様、それほど大きなものにはならないと推測することができる。もちろん、失業率上昇には様々な要因が絡んでいるので、それらをきちんとコントロールした精密な分析をしないと確かなことは言えない。とはいえ、それらの他の要因を圧するほどの大きな影響を最低賃金が失業率に与えないであろうことが、これらの初歩的な分析から伺える。
ただ、労働政策研究・研修機構のこの分析にある通り、パートタイマーの賃金が最低賃金に張り付いている県もあるほか、前述のロイター記事や大竹・橘木対談で指摘されている通り、サービス業や中小メーカでも最低賃金ベースの企業は少なからずあると思われる。この問題をさらに深く掘り下げるに当たっては、そうしたミクロ面への目配りが欠かせないことは言うまでもない。